台の向う側に妾の爪先とスレスレにかしこまったまま、それこそ狼《ウルフ》ソックリのアバラ骨を薄い皮膚の下で上げたり下げたりして、一生懸命に咳《せき》を押え押えしていた。
「エラチャンは肺病は怖くないかい」
「チットモ怖かないわ。肺病のバイキンならどこでもウヨウヨしている。けれども達者な者には伝染しないって本に書いてあるじゃないの。妾その本を読んだから、あんたが無性に好きになったのよ。あんたが肺病でなけあ、妾こんなに可愛がりやしないわ。妾はあんたが呉れた赤い表紙の本を読んでいるうちに、あんた以上の共産主義になっちゃったのよ。……あんたが妾にサクシュされて、どんな風にガラン胴になって、ドンナ風に血を吐いて死んで行くか、見たくって見たくってたまんなくなったのよ。だからこんなに一生懸命になって可愛がって上げるのよ」
 妾がこう云って笑った時の狼《ウルフ》の顔ったらなかった。蒼白く並んだ肋骨《ろっこつ》を、鬼火のように波打たして、おびえ切ったウツロ眼《め》から泪《なみだ》をポトリポトリと落しはじめた。泣くような……笑うような皺《しわ》を顔中に引き釣らして泪の流れを歪《ゆが》みうねらせた。……と思うと不意に妾の両脚の間の、真白なリンネルの上に、骨だらけの身体《からだ》を投げ伏せて、両手をピッタリと顔に押し当てた。
 妾はハッとして起き直った。血を吐くのじゃないかしらんと思った。そのモジャモジャと乱れ重なった髪毛《かみのけ》の下を、ドキドキしながら見守っていた。しかし、そうじゃないらしい事が間もなくわかったので、妾はガッカリしてしまった。
 ウルフは、差し出した妾の手をソッと押し退《の》けた。そうして泪でよごれた顔を手の甲で拭《ぬぐ》い拭い寝台から降りて、長椅子の上に投げ出した洋服を着はじめた。
 けれども継《つ》ぎ継ぎだらけのワイシャツとズボン下を穿《は》いて、黒いボロボロのネクタイを上手に結んでしまうと、ウルフは、穴だらけの黒靴下を両手にブラ下げたまま、又、ジッとうなだれて考えはじめた。
 すると、そのうちにジッと考え込んでいたウルフは、何と思ったか両手に提《さ》げていた古靴下を麻雀台の上に投げ出した。髪毛《かみのけ》をうしろにハネ上げて、入口の扉《ドア》の方へヒョロヒョロと近づいた。そこの棚の上に置いてある黒い風呂敷包みを丁寧にほどいて、新しい食パンの固まりを二つ、大切そうに
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