《さんたん》たる苦心研究を積ませられたものであるが、さてそのあげく、イヨイヨ一行を谷山家に乗込ませて見ると、案ずるよりも生むが易いで、久美子の奥様振りが頗《すこぶ》る板に付いたアザヤカナものだったので、龍代の再来という評判が立って、一躍、界隈の社交界をリードするようになった。同時に家庭も極めて円満で、五人の子供達にミジンの分け隔ても見せないから、将来、谷山家の秘密に気付くものは絶対に出ない見込である……だからその事に就ては、絶対に心配しなくともいいと仰有る……ナア――ンダイ。馬鹿にしやがらア……。
 イヤ……アハハハハ……これあ失敗《しくじ》った。うっかりネタを曝《ば》らしちゃった。
 アハハハ。実はね。先生をドウかして一パイ引っかけて、マンマと首尾よく退院してくれようと思いましてね。この間から寝ないで話の筋を考えていたんです。そうしたらツイ今サッキ尻餅《しりもち》を突いた拍子に、自分の経歴を思い出したような気がしたもんですからね。こいつあ占《し》めたと思って、すぐに先生の処へ来たんですが……ハアテネ……。
 俺は一体、誰の経歴を思い出したんだろう……自分で調べた他人の経歴を思い出したんじゃないか……ハテ…いけねえいけねえ。モットよく考えて来れあよかった。どこかに辻褄の合わない処があったんだ……。ヨオシ……今度こそは……。
 エッ。昨日《きのう》も僕が同じ話をしに来たんですって……一昨日《おととい》も……ズット前から何度も何度も……アノ僕が……ヘエ……。だから先生の方でも、谷山さんに頼まれた通りに、繰り返し繰り返し詳《くわ》しい事情を説明して、ヤキモキしないように云って聞かせているが、ドウしてもわからない……僕がですか……ヘエ。おまけに自分の事と、他人の事とをチャンポンにして考えたりするので、話がだんだんトンチンカンになって来る。だから君のアタマはタシカでない。谷山家の事なんか忘れてしまって、モット気楽に養生しなければ、いつ退院出来るかわからない……ヘエ――……。それあ誰のことですか……エッ……僕のこと……ヘエ。そうして貴方は……。失礼ですが、どなたですか。
 エッ。副院長の助手さん……一緒に僕の心理状態を研究している……。
 ……ウワア……しくじったア。それじゃ何でも知っている筈だ。僕は又院長さんかと思った。院長さんなら、まだ一度も僕に会ったことがないから、もしかすると一パイ喰うかも知れないと思ったんだが……いけねえいけねえ……。
 アッハッハッハッハッハッハッハッ……。
 ああア――ッ。くたびれたアッ……ト……。
 ねえ先生……話し賃に煙草を一本下さいな…………。
 ……オヤア――ッ。誰も居やがらねえ……。
 ここは監房の中だ……おかしいな。俺あサッキから一人で饒舌《しゃべ》ってたのかな……フーン……イッタイ何を饒舌《しゃべ》ってたんだろう……。
 ……桐の花が、あんなに散ってやがる…………。

 ……アッ……忘れていたッ…………。
 俺あ龍代に復讐するつもりだったんだ……彼女《あいつ》は俺に肱鉄《ひじてつ》を喰わせやがったんだ……妾《わたし》をオモチャにするつもり……って冷笑しやがったんだ。だからその通りにしてやったんだ。前科者を亭主に持たして、一泡吹かしてくれようと思ったのが、間違ってコンナ事になってしまったんだ。あべこべに俺がキチガイ扱いされる事になったんだ。
 エエッ……コンナ篦棒《べらぼう》な……不公平な……。
 俺あ谷山家に怨みがあるんだ。ココを出してくれ。不法監禁だぞ畜生……ドウスルカ見ろ……龍代の阿魔《あま》……。出してくれ出してくれ出してくれくれくれ……出してくれッ……。出して……くれエエエ――ッ……。



底本:「夢野久作全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年1月22日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」春陽堂
   1933(昭和8)年5月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:しず
2000年10月26日公開
2006年3月15日修正
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