済んだようなものでしたが、しかし、それにしても重大問題には相違無いので、取るものも取りあえず上京して目黒の精神病院を訪問してみますと……又もシインとするほど脅《おびや》かされたのでした。頑丈な鉄の檻の中に坐り込んでいた、患者姿のAは、とりあえず見舞いに来た私の顔を、ハッキリと記憶していたばかりでなく、何やら訳のわからない紙片《かみきれ》を鉄棒の間から突出しながら、辻褄《つじつま》の合わない脅迫めいた文句を、私に向って浴びせかけるではありませんか。むろんその紙片《かみきれ》は、私の事を書いた新聞の複写か何かと思い込んでいたものに違い無いのですが……。
私はその複写拡大紙面の実物と、ブロマイドに焼付けられた妻子のグロ写真とを並べて、副院長の自室で見せてもらいましたが、それを見ているうちに初めて、自分の過去の記憶を電光のように呼び起す事が出来ました私は、あんまり烈しいショックを受けましたために、一時失神状態に陥ってしまったものです。
しかし間もなく、副院長の介抱によって正気に帰りますと、私は、すぐに非常な勇気を奮い起しまして、Aが自白した一切の事実を確認しました上に、尚《なお》足りないところを詳細に、副院長の前で補足してしまいました。そうしてAの一身に関する相当の保護を依頼すると同時に、私の前身を公表するかしないかという重大な判断はタッタ一つ……副院長の自由意志に一任しまして、その旨を半狂人《はんきちがい》のAに詳しく云い聞かせますと、そのまま北海道に引上げてしまいました。これは申すまでもなく、万一、私の前身が公表されました場合、落付いて刑に就くべく心用意をしておくためでした。……いくら他人の秘密を預るのが商売の精神病医でも、これ程の秘密を握《にぎ》り潰《つぶ》すのは、容易な事であるまいと思いましたからね。
……エッ……何ですって……。
私の話がトンチンカンですって……。
これは怪《け》しからん。どこがトンチンカンですか。私は立派に順序を立ててお話ししているつもりですが……。
何ですか……その新聞記者のAという男の本名は、まだ思い出さないかって仰有《おっしゃ》るのですか……サア。それがまだ思い出せないのですが……モウジキに思い出すだろうと思っているんですが……。
……オヤ……何故お笑いになるのですか。
ヘエ。ここがその目黒の病院なんですか。ヘエッ。それじ
前へ
次へ
全26ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング