らないのか知らん」
 と思いました。
 その時でした。御殿の奥のどこからか、
「カアーンカアーン」
 という鉄鎚《かなづち》の音と一所に、懐しい懐しいルルの歌うこえが、水をふるわせてきこえて来ました。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「ミミよ ミミよ オオ いもうとよ……くらい みずうみ オオ ならぬかね……ひとり ながめて オオ なくミミよ
「ちちは ならない アア かねつくり……あにも ならない アア かねつくり……ミミを のこして アア みずのそこ
「ミミよ なけなけ エエ みずうみが……ミミの なみだで エエ すむならば……かねも なるやら エエ しれぬもの」
[#ここで字下げ終わり]
 湖の女王様は金剛石の寝椅子の上に横になって、ルルの歌をきいておられました。そうして、ルルが陸《おか》に残したミミのことを悲しんで歌っていることを知られますと、湖の女王様は思わず独り言を云われました。
「ああ……私は可哀そうなことをした。ルルを湖の底へ呼ぶために、私はルルが作った鐘を鳴らないようにした。そうして、ルルがそれを悲しがって湖へ身を投げるようにした。そのために可哀そうなミミはひとりポッチになってしまった。
 嘸《さぞ》私を怨んでいるだろう……けれども私はそうするよりほかに仕方がなかった――。
 ――この湖の水晶のような水は、この御殿のお庭にある大きな噴水から湧き出している。その噴水がこわれると、湖の水がだんだん上の方から濁って来る。そうして、その濁りが次第次第に深くなって底まで達《とど》くと、この湖に住んでいるものはみな死んでしまわなければならない。――その大切な噴水が又こわれてしまった。これを直すものはルルしか居ない。だから私はルルを呼び寄せるほかにしかたがなかった――。
 ――私はこの前にもこうしてルルの父親を呼んだ。その前にも、その又前にも、噴水がこわれるたんびに、何人も鍛冶屋や鐘つくりを呼び寄せた。けれども、そんな人たちはみんな、自分一人で勝手に陸《おか》へ帰ろうとしたために、途中で悪い魚《さかな》に食べられてしまった――。
 ――ルルは今、噴水を直しながら歌を歌っている。妹のことを悲しんで歌を歌っている。陸《おか》に残った妹もどんなにか悲しいであろう。今度こそは用が済んだら、途中であぶないことのないようにして妹の処へ送り返してやりましょう。鐘も鳴るようにしてやりましょう――。
 ――ああ、ほんとに可哀そうなことをしました」
 この時、ミミはルルの歌の声をたよりに、やっと女王様のお室《へや》の前までたどりついておりました。そうして、女王様のひとり言をすっかりきいてしまったのでした。
 ミミは、女王様がルルとミミのことを可愛そうに思っておられる……そうしてルルを陸《おか》に帰してやろうと考えておられることを知りますと、胸が一パイになりました。
 その時、女王様は立ち上って、寝部屋《ねべや》へ行こうとされました。
 ミミは思わず駈け込んで、女王様の長い長い着物の裾に走り寄りました。
 女王様はビックリしてふり向かれました。……ここは当り前の人間がたやすく来るところではないのに……と思いながら
「お前はどこの娘かね……」
 とお尋ねになりました。
 ミミは品よくお辞儀をしました。そうして、涙を一パイ眼に溜めながらお願いしました。
「私はミミと申します。ルル兄様に会いにまいりました。どうぞ会わせて下さいませ」
「オオ。お前がルルの妹かや」
 と、女王様はミミを抱寄せられました。そうして、しっかりと抱きしめて、静かな声で云われました。
「お前がルルの妹かや。お前が……お前が……まあ、何という可愛らしい娘であろう。ルルがお前のことをなつかしがるのも無理はない。悲しむのも無理はない。
 お前も嘸《さぞ》悲しかったであろう。淋しかったであろう。そうして私を怨んでいたであろう。
 許してたもれや。許してたもれや」
 女王様は水晶のような涙の玉をハラハラとミミの髪毛の上に落されました。
 ミミは泣きじゃくりながら顔を上げて、女王様に尋ねました。
「女王様。女王様はほんとうに……私たちを陸《おか》へ帰して下さいますでしょうか」
「ほんとうともほんとうとも。私が今云うたひとり言はみな偽りでないぞや。
 あのルルが来て、あの噴水を直してくれなければ、この湖の中のものは皆死ななければならぬ。それゆえルルを呼びました。それゆえお前にも悲しい思いをさせました。どうぞどうぞ許してたもれや。それにしてもおまえはよう来ました。よう兄さまを迎えに来ました。きっと二人は陸《おか》に帰して上げますぞや。お前たちのお父さんのように悪い魚にたべられぬようにして……そうして、陸《おか》に帰ったならば鐘も鳴るようにして上げますぞや。
 なれども、ルルがあの噴水を治《なお》してしまうまでは待ってたもれよ。それももう長いことではない。ミミよ、お聞きやれ。あのルルの打つ鎚《つち》の音《ね》の勇ましいこと」
 女王様とミミは涙に濡れた顔をあげて、ルルの振る鉄鎚の音をききました。
 ルルは湖の御殿の噴水を一生懸命につくろいました。もう二度とふたたびこわれることのないように、そうして、陸《おか》の鐘つくりや鍛冶屋さんが湖の女王様に呼ばれることのないように、命がけで働きました。そのうち振る槌の音は、湖のふちにある魚《うお》の隠れ家や蟹の穴までも沁《し》み渡るほど、高く高く響きました。
「カーンコーン カンコン
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ミミにわかれてこの湖の、底にうちふるこの鎚のおと、ルルがうちふるこの槌の音
カーンコーン カンコン
ないてうちふるこの槌の音、ないてたたいてこの湖の、水をすませやこの槌のおと
カーンコーン カンコン
ミミにあいたやあの妹に、おかへゆきたやあの故郷《ふるさと》へ、そしてききたやあの鐘の音」
[#ここで字下げ終わり]
 ルルはとうとう噴水を立派につくろい上げました。玉のような澄み切った水の泡が、嬉しそうにキラキラと輝きながら空へ空へ渦巻きのぼってゆきました。そのま上の濁った水が、新しく噴《ふ》き上った水に追いのけられて、そこからあかるい月の光りと清らかな星の光りが流れ込んで来ました。もうこれから何万年経っても、この噴水がこわれることはあるまいと思われました。
 湖の御殿の真珠の屋根は、月と星の光りを受けて見る見る輝き初めました。瑠璃《るり》の床、青玉の壁、翡翠《ひすい》の窓、そんなものがみなそれぞれの色にいろめき初めました。
 湖の女王の沢山の家来……赤や青や、紫や、黄金《こがね》色の魚《さかな》たちは、皆ビックリした眼をキョロキョロさして、われもわれもと列を組んで御殿のまわりに集まって来ました。そのありさまはまるで虹が泳いで来るようでした。
 湖の女王様は手をあげてその魚どもを呼び集められまして、これからルルとミミにできるだけ立派な御馳走をするのだから、その支度をせよと云いつけられました。
 湖の御殿の噴水を立派に直したルルは、もう歩くことが出来ないほど疲れておりました。けれども……この噴水がもう二度とふたたびこわれないようになった……この湖の中に在る数限りないものの生命は助かった……そうしてこれから後《のち》何万年経ってもこの水は濁らない……村にわるいことも起らないのだ……と思うと、ルルは嬉しくてたまりませんでした。その嬉しさに、疲れた身体《からだ》を踊らせながら女王様の前に帰って来ました。
 その時にルルは、今までにない美しい御殿の様子に気が付きました。
 御殿の大広間は夜光虫の薄紫の光りで夢のように照らされておりました。広い広い部屋一パイに飾られた水艸《みずくさ》の白い花は、ほのかな香《にお》いを一面にただよわせておりました。
 その中に群あつまる何万とも何億とも知れぬ魚の数々。その奥の奥に見える紫水晶の階段。その上に立っていられる女王様のお姿。
 そうして今一人の美しい女の子の姿……ミミ……。
 ルルは思わず壇の上に駈け上ってミミを抱きました。ミミもしっかりとルルの首に獅噛《しが》み付きました。
 今まで虹のようにジッと並んでいた数限りない魚の群は、この時ゆらゆらと動き出しました。青、赤、紫、緑、黄色、銀色、銅色、黄金《こがね》色と、とりどり様々の色をした魚が、同じ色同志に行列を作って、縞のようになったり、渦のようになったりしました。又は花の形を作ったり、鳥の形を作って見せたり、はては皆一時に入り乱れて、一つ一つに輝きひるがえる美しさ。その間を飛びちがい入り乱れる数知れぬ夜光虫の光り。それは世界中が金襴《きんらん》になって踊り出すかのようでした。
 ルルとミミは抱き合ったまま、夢のように見とれていました。その前に数限りない御馳走が並びました。
 月の光りはますます明るく御殿の中にさし込みました。そうして、女王様の嬉しそうなお顔やお姿を神々《こうごう》しく照し出しました。
 そのうちに月の光りが次第次第に西へ傾いてゆきました。ルルとミミの陸《おか》へ帰る時が来ました。
 ルルとミミは女王様から貸していただいた、大きな美しい海月《くらげ》に乗って、湖の御殿の奥庭から陸《おか》の方へおいとまをすることになりました。
 女王様はルルとミミを今一度抱きしめて頬ずりをされました。そうして、こんなお祈りをされました。
「この美しい兄妹《きょうだい》は、この後どんなことがありましても離れ離れになりませぬように」
 ルルもミミも女王様が懐かしくなりました。何だかいつまでもこの女王様に抱かれて、可愛がっていただきたいように思って、涙をホロホロと流しました。
 けれども女王様は二人をソッと抱き上げて、海月の上にお乗せになりました。
「海月よ。お前は絶えず光りながら、この兄妹《きょうだい》を水の上まで送り届けよ。そうして、悪い魚が近付かないように毒の針を用意して行けよ」
 海月は黙って浮き上りました。
 咲き揃った水藻《みずも》の花は二人の足もとを後《うしろ》へ後へとなびいてゆきました。御殿の屋根は薔薇色に、または真珠色に輝きながら、水の底の方へ小さく小さくなってゆきました。宝石をちりばめたような海月の足の下へ……。
「ネエ、ルル兄さま!」
「ナアニ……ミミ」
「女王様は何だかお母様のようじゃなかって」
「ああ、僕もそう思ったよ」
「あたし、何だかおわかれするのが悲しかったわ」
「ああ、僕もミミと二人きりで湖の底にいたいような気もちがしたよ」
 こんなことを二人は話し合いました。そうして二人は抱き合って、海月の足の下をのぞきながら、何遍も何遍も女王様のいらっしゃる方へ「左様なら」を送りました。
 ルルとミミが湖のおもてに浮き上ったところには、美しい一艘の船が用意してありました。その上にルルとミミは乗りうつりました。
「海月よ。ありがとうよ。ルルとミミが心から御礼を云っていたと、女王様に申し上げておくれ」
 海月はやはりだまって、ユラユラと水の底に沈んで行きました。兄妹《きょうだい》は舷《ふなべり》につかまって、その海月の薄青い光りが、水の底深く深く、とうとう見えなくなってしまうまで見送っておりました。
 お月様は今、西に沈みかけていました。かすかに吹き出した暁の風が、二人の船を陸《おか》の方へ吹き送りはじめました。
 湖の面《おもて》には牛乳のような朝靄《あさもや》が棚引きかけていました。その上から、まだ誰も起きていないらしい、なつかしい故郷の村が見えました。その村のお寺の鐘撞き堂に小さく小さくかすかにかすかに光る鐘……ルルはそれをジッと見つめていましたが、その眼からどうしたわけか涙がポトポトとしたたり落ちました。
「まあ。お兄さま、どうなすったの。なぜお泣きになるの……」
 ルルはしずかにふりかえりました。
「ミミや。お前は村に帰ったら、一番に何をしようと思っているの……」
「それはもう……何より先にあの鐘の音《ね》をききたいと思いますわ。あの鐘は今度こそきっと鳴るに違いないのですから……どんなにかいい音《ね》でしょう……」
 と、ミミは
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