た。それにつれて列席していた判検事、特高課員、司法主任の連中も犬田博士の意見に対して敬意を払い初めたらしく眼を輝やかして固唾《かたず》を呑んだ。
 しかし犬田博士はこの時に、まだ多くを云わなかった。
「これは案外平凡な事件かも知れませんな。……とにかく御差支のない限り、御都合のいい日に、今一度現場を見せて頂けますまいか。今|些《すこ》したしかめて見たい事もありますし、何か御参考になる事が見付かるかも知れませんから……」
「そうすると何か犯人に就ての御心当りでも……」
 と横合いから司法主任が口を出した。熱心な司法主任は、犬田博士と東作の問答を傍観しているうちに、この事件に対する気分がスッカリ転換して、全然別の新しい観点から頭を働かせ初めたらしい。鋭い生々した瞳を輝かしていた。
 しかし犬田博士は結論を急がなかった。思索を整理するかのように眼を閉じて頭を振った。
「いや。まだ判然《はっきり》しませぬ。ただこれは今の東作老人の初対面の印象を、医学上から来た一つの仮想を根拠として申上る事ですから、無条件でお取上になっては困るのですが、今の老人はドウモこの事件に関係はないようです」
「その仮想
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