ミニューム粉末をしきりに撒《ふ》りかけていたが、やがて犬田博士の膝よりももすこし下部に当る処から不等辺三角形に重なり合った、荒い皮膚の褶紋を発見すると、流石に嬉しかったと見えて、真赤に上気した額の汗を拭き拭き一同に指示した。
「この犯人は、やはり日本人ですね。日本人でない限り膝小僧を露出する犯人は居ない筈ですからね。しかしかなり背の低い奴と見えて、しゃがんでこの鍵穴を覗く拍子に、過《あやま》ってコンナ処に膝小僧を押付けたのです。多分本人は無意識の中に忘れてしまっているだろうと思いますが……」
 署長も太いため息をしいしい安心したように汗を拭いた。蒲生検事をかえりみて云った。
「これだからR市にも鑑識課を一つ置いてくれと僕がイツモ云っているんだよ」
 一同がソレゾレに同感らしく首肯《うなず》いた。
 そのうちに犬田博士は寝室に這入った。屍体を除いた以外の情況は、その当時のままになっている寝台の上下左右を詳細に調べた後に、検事をかえりみて云った。
「その当時に使用した電燈のコードは、この寝台の下に転がっている豆スタンドのものでしたかね」
 横合いから司法主任が引取って答えた。
「そうです。ここに持って来ております」
 と云う中《うち》に自身に提《さ》げて来た中位の箱鞄の中から新聞包みのコードを取出した。
「そのコードの犯人が手で握った処の折れ曲りなぞもその時の通りですか」
「そうです。その点を特に注意して保存しておきましたが……」
 犬田博士の顔に云い知れぬ満足の色が浮んだ。
「それはどうも結構でした。一寸《ちょっと》拝見……」
 と云う中に犬田博士は鄭重な手附でコードを受取ったが直ぐ司法主任を振返った。
「これは一巻き巻かっていたのですか」
「イヤ二巻《ふたまき》です。御覧の通りマリイ夫人が吐出《はきだ》した血が三個所に附着しております。その血痕のピッタリ重なり合う処が、マリイ夫人の首の太さになっておりますわけで……」
「いかにも……成る程。してみると犯人はマリイ夫人が眠っている間にソッと二巻き捲いておいて、突然、絞殺に掛った訳ですね」
「そうです……ですから計画的な殺人と認めているのですが……」
 犬田博士は調査を終った寝台の端に片足をかけて、足首の上の細い処へ、そのコードを二巻、捲付けた。犯人の力で折曲った処を、その通り掴んだままギューギューと絞めてみた。そうしてコードにコビリ付いている血痕の三個所の中心が、完全に重なり合う処まで来ると、緊張した表情のまま検事をかえりみた。
「……この犯人は、やはり小男ですね。このコードの折曲りを起点とした力の入れ工合を見ると、肩幅が普通人よりも狭いようです。東作老人もロスコー氏も肩幅が並外れて広いのですからね。ほかの西洋人は勿論のこと、日本人でもコンナに狭いのは先ず珍らしいでしょう」
「どうして麻酔剤を使わなかったでしょうか」
 と蒲生検事が質問した。犬田博士は苦笑しいしい顔を掻いた。
「さあ。その点は私にもわかりませんがね。恐らくこの事件の中では一番デリケートなところでしょう」
 それから犬田博士は寝台の上にかけて在った羽根布団をめくってシーツの表面に残る隈なく拡大鏡を当てがってみた後に、署長と、検事、判事、司法主任を招き寄せた。ズボンのポケットから洋服屋が使うチャコを抓《つま》み出して、四人の眼の前のシーツの上に大きな曲線を描き初めた。
「御覧なさい。ここがマリイ夫人の頸部に当る処です。口から腮《あご》へ伝わった血液がここに泌み付いております。それからこの黄色の斑紋は死後に放尿した処で、この二個所を基点として、死体の最後の位置を描いてみますと、コンナ形状位置になりましょう。つまり西洋婦人としては幾分小型ですが、日本の普通の男子よりもすこし大きい位の体格です……ね。
 そうだったでしょう。
 ところでこのマリイ夫人の臀部の向って右側のここに極めて淡い黄色の斑点があらわれております。これは事件直後には誰にも気附かれていなかったものが、この数日の中《うち》に空気に触れて変色、現象されたもので、マリイ夫人の或種の体液が、格闘の最中にどうかして犯人の露出した右の膝頭に触れたものが、この個所に力強く押付られていたのを、犯人も気付かずにいたものと考えられます。それからこっちの裾の方に在る二つの薄黒い斑紋は形状から見て、犯人の足袋の爪先に附着していたホコリの痕跡と思われますが、これも相当に力強くプレスされたために辛うじて残っているので、肉眼では殆んど見えませぬ。この右の膝頭と、爪先の寸法から目測してみますと、犯人が五尺あるかなしの小男である事がわかります。いずれ帰ってから本式に計算した書類を差出しますが……」
 と説明しながら犬田博士はポケットから小さな巻尺を取出して、薄黄色と、薄黒の二つの斑紋間の距
前へ 次へ
全15ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング