由を認めない訳に行かなかった。
 しかも、こんな場合本能的に、そうした気前を見せる相手の心理状態に、是非とも探り入らずには措《お》かぬ習慣を持っている私のアタマが、この時に限って痲痺したようになっていたのは何故であったろうか。自分でも気付かないうちに未亡人の魔力に毒されていたのであろうか。それとも相手の頭の良さにまいっていたのであろうか。……千円やそこらのお負けにポーッとなるような私ではなかったが……。
 ……さもあらばあれ……。
 大小|取交《とりま》ぜた分厚い札束を、いい加減に二分して左右の内ポケットに突込んだ私は、すこし寛《くつろ》いだ気持になった。すすめられるまにまに細巻の金口《きんぐち》を取って火を点《つ》けた。この際私に危害を加えるような、ヘマな相手でない事がハッキリと直感されたから……。
 その間に未亡人は紅茶を入れて来た。そうして自分も細巻を取上げた。
「……では、あの、お伺い出来ますかしら……今のお話と仰言るのを……」
「……あ……お話ししましょう。これはお負けですがね。お負けの方が大きいかも知れませんが……ハハハハ……」
「すみませんね。どうぞ……」
「ほかでもありませんがね。今申しました貴女と古いお識合《しりあ》いのC国公使のグラクス君が、ツイこの間帰任しがけに面白いものを見せてくれたのです。いわば貴女の御不運なんですがね」
「……妾《わたし》の不運……」
「そうです。貴女はグラクス君が、世界でも有名なミステリー・ハンターという事を御存じなかったでしょう。……ね……そのグラクスが僕に素晴らしいネタを呉れたのです。僕が或る珍しい倶楽部《くらぶ》に紹介してやったので、そのお礼の意味で提供してくれたんですがね。お思い当りになりませんか」
「……さあ。それだけではね。ちょっと……」
「そうですか。それじゃ、もうすこしお話してみましょう。つまりグラクスの話によりますと、貴女のような深刻な趣味を持った婦人はどこの国にも一人や二人は居る筈だって云うんです。そうしてその趣味が深刻化して行く経路が皆似ているって云うんです。もちろんその中でも貴女は最も著しい特徴を持った方で、しかも、今では、そうした猟奇趣味の最後の段階まで降りて来ていられるとグラクス君が云うのです」
「……最後の段階って……」
「そうです。その証拠はコレだと云ってグラクスが見せてくれましたのは、白紙に包んだ一掴みの爪だったのです」
「……爪……?……」
「そうなんです。色んな恰好をした少年の爪の切屑《きりくず》なんです。十二三人分もありましたろうか……おわかりになりませんか」
「まあ。そんなものが妾と何の関係が……」
 そう云ううちに未亡人は何となく気味わるそうな表情になった。わざと指環をはめないで、化粧だけした両手の指を、これ見よがしに卓子《テーブル》の上に並べながら、ウットリと遠い所に眼を遣った。
 私はその視線を追っかけた。冷ややかに笑いながら……。
「そんなにシラをお切りになっちゃ困りますね」
 未亡人は私の顔を正視した。
「……わたくし……何も白ばくれてはおりませんが……」
「それじゃ僕から説明して上げましょうか。これでも貴女ぐらいの程度には苦労しているつもりですからね。蛇《じゃ》の道は蛇《へび》ですよ」
 と叱咤するような口調で云ってみた。実はその爪の屑が、何を意味するものなのか、この時まで全然わからなかったのだから……。
 すると果して反応があった。私の顔を穴のあく程みつめていた未亡人の頬に見る見るポーッと紅がさして、眼がこの上もなく美しくキラキラと輝やき初めた。
「ホホホホホ。わかりましたわ。あの家政婦からお聞きになったのでしょう。説明なさらなくともいいのよ。白状して上げるから待ってらっしゃい」
 未亡人の言葉つきが急にゾンザイになった。同時に椅子に腰をかけたまま左手をズーッと白くさし伸ばして背後の書物棚から青い液体を充《み》たした酒瓶とグラスを取出した。
「……貴方お一つどう……オホホ……おいや……では妾《わたし》だけ頂くわ。失礼ですけど……まだ妾の気心がおわかりにならないんですからね。仕方がないわ。よござんすか……よく聞いて頂戴よ」
 見る見る雄弁になった未亡人は、深いグラスに注《つ》いだ青い液体をゴクゴクと飲み干した。フーッと長い息を吐くと、芳烈な緑色の香気が私の顔を打った。
 しかし私は瞬《またたき》一つしないまま未亡人の顔を凝視した。俄《にわ》かに変って来たその態度を通じて、告白の内容を予想しながら……。
「……まったく……貴方のお察しの通りなのよ。妾は妾の手にかけた少年たちの爪を取り集めて、向うの机の抽斗《ひきだ》しに仕舞《しま》っといたのよ。西洋の貴婦人たちが媾曳《あいびき》の時のお守護《まもり》にするそうですからね。その包みの中のどれか一つをグラクスさんが妾の寝ている間に盗んで行ったのでしょう。妾との関係が切れないようにね。ホホホ」
 彼女は又もフーッと青臭い息を私にマトモに吹きかけた。
 私は固くなってドキンドキンと胸を躍らせながら……。
「……あたし主人と別れてからこっちというもの時々たまらない憂鬱に襲われることがあるの。あれが妾のヒステリーっていうものかも知れないけど、そのたんびに妾よく男装して方々に活動を見に行ったんですよ。ハンチングを冠ってロイドの色眼鏡をかけて、ニカボカを着るとまるで人相が変るんですからね。帝劇のトーキー披露会で貴方とスレ違ったこともあるわ……御存じなかったでしょう」
 私は正直にうなずいた。
「……ね……そうして不良少年《チンピラ》らしい顔立ちのいい少年《こども》を往来で見付けると、お湯に入れて、頭を苅らして、着物を着せて、ここへ連れて来るのが楽しみで楽しみで仕様がなくなったの……もっとも最初のうちは爪だけ貰うつもりで連れて来たんですけどね。そのうちに少年《こども》の方から附き纏って離れなくなってしまうもんですから困ってしまってカルモチンを服《の》ましてやったのです……そうして地下室の古井戸の中から、いい処へ旅立たしてやったんです。ここの地下室の古井戸は随分深い上にピッチリと蓋が出来るようになっていて、息抜きがアノ高い煙突の中へ抜け通っているんです。妾が設計したんですからね。誰にもわからないんですの。……でも貴方にはトウトウわかったのね……ホホホ……モウ随分前からの事ですからかなりの人数《にんず》になるでしょう……御存じの家政婦も入れてね……ホホホホホ……」
 私は見る見る血の気を喪《うしな》って行く自分自身を自覚した。タマラナイ興奮と、恐怖のために全身ビッショリと生汗《あせ》を流しながら、身動き一つ出来ずにいた。
 これに反して相手は一語一語|毎《ごと》に、その美くしさを倍加して行った。そうして話し終りながら如何《いか》にも誇らしげに立上ると、寝台《ベッド》のクションの間に白い両手を突込んで探りまわしていたが、そのうちに一冊の巨大な緞子《どんす》張りの画帳をズルズルと引っぱり出した。重たそうに両手で引っ抱えて来て石のように固くなっている私の膝の上にソッと置いて、手ずから表紙を繰りひろげて見せた。
 私は正直に白状する。重たい画帳を載せると同時に両方の膝頭がガクガクと戦《おのの》いているのに気が付いた。画帳を開こうとすると指がわなないて自由にならなかった。話にしか聞いた事のない恐ろしい変態殺人鬼が、現在タッタ今、眼の前に居ることをヤット意識し初めて……その殺人鬼に誘惑されながら、ドウする事も出来なくなっている自分自身を発見して……。
 未亡人は、そうした私の傍に突立ったまま嫣然《えんぜん》と見下していた。私の意気地なさを冷笑するかのように……私を圧迫して絶対の服従を命ずるかのように……。
 私は、そうした妖気に包まれながら、わななく指で左右の手袋の釦《ボタン》をシッカリとかけ直していたように思う。……何故ともなしに……そうして絹本《けんぽん》を表装した分厚い画帳を恐る恐る繰り拡げていたように思う。
 それは歴史画の巨匠、梅沢狂斎が筆を揮《ふる》った殷紂《いんちゅう》、夏桀《かけつ》、暴虐の図集であった。支那風の美人、美少女、美少年が、あらゆる残忍酷烈な刑に処せられて笞打たれ、絞め殺され、焙《あぶ》られ、焼かれ、煮《に》られ、引き裂かれ、又は猛獣の餌食にあたえられて行く凄愴、陰惨を極めた場面の極彩色密画であった。その一枚一枚|毎《ごと》に息苦しくなってゆくような……それでいて次の頁《ページ》を開かずにはいられないような……。
「ホホホ。感心なすって……。妾にそうした趣味を教えてくれたのはこの画帳なんですよ。もっとハッキリ云うと亡くなった主人なのよ。……主人は亡くなりがけに、自分が生きている間じゅう許さなかった女の楽しみをスッカリ妾に許して行ったんです。そんなにまで主人は妾を愛していたんですの……ですから妾は、そんな遊戯の真似を、この室《へや》でするたんびに、主人の霊魂がどこからか見守っていて、微笑していてくれるような気がしてならないのよ」
「……ウ――ム……」と私は唸《うな》った。同時に私の頭の中に高く高く積み重なっていた硝子《ガラス》器の山が一時にガラガラガラッと崩れ落ち始めたような気がした。
「……ね。安心なすったでしょう……ホホホホホこれだけ打ち明けたらモウいいでしょう」
 未亡人の声が神様のように高い処から響き落ちて来た。
 私はブルブルと身ぶるいをした。
 眼をシッカリと閉じた。
 画帳の上に突伏した。

 それから私がドンナ事をしたか順序を立てて書く事が出来ない。
 頭がグラグラするほど酔っていたことを記憶している。
 何でもカンでも未亡人の云う通りになっていたことを記憶している。
 その中《うち》に、ただ一つ酔っ払い式の片意地を張って、左右の手にはめた黒い手袋をドウしても脱がなかったので、未亡人から臆病者とか何とか云って散々に冷かされていた事も忘れていない。
 併《しか》し最後にトウトウその手袋を脱がされた。そうして、見るからに外国製らしい銀色の十字型の短刀を夫人から渡されると、その冴切《さえき》った刃尖《はさき》を頭の上のシャンデリヤに向けながら、大笑いした自分の声を、今でもハッキリと記憶している。
「ハッハッハッハッハッ、これで自殺しろと云うんですか」
 私は室の中央に突立ったまま何度も何度も舌なめずりをしていた。そのダラシのない姿が、寝台《ベッド》の上に寝そべっている夫人の姿と重なり合って、室の奥の大鏡にアリアリと映っていた。
「そうじゃないのよ。妾を殺して頂戴って云うのよ」
「……ハハハ……死にたいんですか」
「……ええ……死にたいの」
「……どうして……」
「……だって妾は破産しているんですもの」
「……ヘエ……ホントウですか」
「貴方に上げたのが妾の最後の財産よ。今夜が妾の楽しみのおしまいよ」
「……ウソ……ウソバッカリ……」
「嘘なもんですか。妾は一番おしまいに貴方の手にかかって殺されるつもりでいたのよ。そうして妾の秘密を洗い泄《ざら》い貴方の筆にかけて頂いて、妾の罪深い生涯を弔《とむら》って頂こうと思って、そればっかりを楽しみにしていたのよ」
「……アハハハハアハハハハ……」
「イイエ。真剣なのよ。貴方の手がモウ妾の肩にかかって来るか来るかと思って、待ち焦れていたんですよ」
「……フーム……」
 私は短刀を片手に提げたまま頭《くび》をガックリと傾けた。理窟を考えよう考えようとしたが、自分の両足の下の藍色の絨緞《じゅうたん》と、その上に散乱した料理や皿の平面が、前後左右にユラリユラリと傾きまわるばっかりで、どうしても考えを纏めることが出来なかった。
 私は鏡の中の自分の姿を、眩《まぶ》しいシャンデリヤ越しに振り返ってみた。真白く酔い痴《し》れた顔が大口を開《あ》いて笑っていた。
「アッハッハッハッハッ。……よしッ……殺してやろう……」
 といううちに私は、短剣を逆手《さかて》に振り翳《かざ》しながら、寝台《ベッド》の上に仰臥している未亡人の方へ、よろめき
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