だねむい眼をコスリコスリ身体を拭いた。赤い帯を色気なく結んで表に出ると、長い田圃道をブラブラと、物を忘れたような気もちで歩いて帰った。
帰り着いてみるとお神《かみ》さんは、又も西日がテラテラし出した裏口で、石の手臼《てうす》をまわしながら、居ねむり片手に黄《き》な粉《こ》を挽《ひ》いていた。それでお千代も石臼につらまって、一所にウツラウツラしいしい加勢をしていたが、そのうちに四時頃になって夕蔭がさして来ると、山芋をドッサリ荷《かつ》いだ亭主の金作が、思いがけなく早く、裏口から帰って来た。
金作は界隈でも評判の子煩悩《こぼんのう》であったが、山芋を土間に投げ出して、いつも子供を寝かしておく表の神棚の下まで来ると、そこいらをキョロキョロと見まわしながら、大きな声で怒鳴った。
「オイ。子供はどうしたんか」
お米は妙な顔をしてお千代を見た。お千代も同じような顔をしてお米の顔を見上げた。
「オイ。どうしたんか……子供は……」
と亭主の金作は眼を丸くして裏口へ引っ返して来た。
お米はまだお千代の顔を見ていた。
「お前……背負うて来たんやないかい」
お千代もお米の顔をポカンと見上げていた。
「……イイエ……お神さんが負うて帰らっしゃったかと思うて……妾《わた》しゃ……」
二人は同時に青くなった。聞いていた金作も、何かわからないまま真青になった。
「……どうしたんか一体……」
「あたし……きょう……八幡様にまいって……」
「……ナニ……八幡様に参って……」
「……お宮の前のお湯に這入って……」
「……ナニイ……お湯に這入っタア……何《なん》しに這入ったんか……」
「……………」
「それからドウしたんか」
「……………」
「……泣いてもわからん……云わんかい」
「……落《おと》いて来たア……」
「……ワア――ア……」
金作は二人を庭へタタキ倒した。黄な粉を引っくり返したまま、大砲のような音を立てて表口から飛び出した。
お米も面喰《めんくら》ったまま起き上って、裏の田圃へ駈け出した。田を鋤《す》いている百姓を見付けると、金切声を振り絞った。
「大変だよ。ウチの人と一所に行っておくれよ。子供が……子供が居なくなったんだよッ……」
一方に八幡裏のお湯屋では、亭主と、巡査と、近所の人が二三人、番台の前で評議をしていた。その中で巡査は帳面を開いたまま、何かしら当惑しているらしかったが、やがて髭《ひげ》をひねりひねり亭主をかえりみた。
「子供を棄てる奴が湯に這入って帰るチウは可笑《おか》しいじゃないか。ア――ン」
「ヘエ。……でも十銭置いてありますので……」
「フ――ン。釣銭は遣らなかっタンカ」
「ヘエ。いつ頃這入ったやら気が付きませんじゃったので……」
「迂濶《うかつ》じゃナアお前は……。罰を喰うぞ気を付けんと……」
「ヘエ。どうも……これから心掛けます」
「つまり湯に這入るふりをして棄てたんじゃナ」
「ヘエ……じゃけんど、ヒョットしたら落《おと》いて行ったもんじゃ御座いませんでしょか」
「馬鹿な……吾《わ》が児《こ》を落す奴があるか」
その時に男湯の入口がガラリと開《あ》いて、百姓姿の男が一人駈け込んで来た。そうして何か戸惑いでもしたように、誰も居ない男湯の板の間を見まわしながらキョロキョロしていたが、そのうちにヤット気付いたらしく、女湯の入口にまわると、泥足のまま巡査を突き退《の》けて、ハヤテのように板の間に駈け上った。……と思うと、そのあとから又二三人、野良姿の男がドカドカと這入って来た。
「居ったカッ」
「居ったッ」
−−
いなか、の、じけん 備考
みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。五六行程の豆記事として新聞に載ったのもありますが、間の抜けたところが、却って都に住む方々の興味を惹くかも知れぬと存じまして、記憶しているだけ書いてみました。場所の事もありますので、場所と名前を抜きにいたしましたことをお許し下さい。
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年9月24日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」日本小説文庫、春陽堂
1933(昭和8)年5月15日発行
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年1月13日公開
2006年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全22ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング