口調で云った。
「わたくしはこんな時機の来るのを待っておりました。こうして私とこの鼓との間に結ばれました因縁を断ち切って頂こうと思ったので御座います」
「因縁……」と私は思わず口走った。
「それはどういう……」
「それは私が私の身の上に就《つい》て一口申し上ぐれば、おわかりになるので御座います」
「あなたの……」
「ハイ……しかし只今は、わざとそれを申し上げません。押しつけがましゅう御座いますけれども、それは私の生命《いのち》にも換えられませぬお恥ずかしい秘密で御座いますから、この四ツの鼓の中から『あやかしの鼓』をお選《よ》り出し下すって、物語りに伝わっております通りの音色をお出し下さるのを承わった上で御座いませぬと……まことに相済みませぬが、只今それをお願い申し上げたいので御座いますが……」
 未亡人の言葉の中には婦人でなければ持ち得ぬ根強い……けれども柔らかい力が籠っていた。三人の間には更に緊張した深い静けさが流れた。
 不意にある眼に見えぬ力に打たれたように恭《うやうや》しく一礼しながら私はスラリと座布団を辷り降りて羽織を脱いだ。そうしてイキナリ眼の前の桜の蒔絵《まきえ》の鼓に手をかけると、ハッと驚いて唇をふるわしている未亡人を尻目にかけた。そうして武士が白刃の立ち合いをする気持ちで引き寄せて身構えた。
「あやかしの鼓」の皮は、しめやかな春の夜《よ》の気はいと、室《へや》に充ち満ちた暖かさのために処女の肌のように和《やわ》らいでいるのを指が触わると同時に感じた。その表皮と裏皮に、さらに心を籠めた息を吐きかけると、やおら肩に当てて打ち出した。……これを最後の精神をひそめて……。
 初めは低く暗い余韻のない――お寺の森の暗《やみ》に啼《な》く梟《ふくろう》の声に似た音色が出た。喜びも悲しみもない……只淋しく低く……ポ……ポ……と。
 けれども打ち続いて出るその音が私の手の指になずんでシンミリとなるにつれて、私は眼を伏せ息を詰めてその音色の奥底に含まれている、或るものをきくべく一心に耳を澄ました。
 ポ……ポ……という音の底にどことなく聞こゆる余韻……。
 私は身体《からだ》中の毛穴が自然《おのず》と引き緊《し》まるように感じた。
 私の先祖の音丸久能《おとまるくのう》は如何にも鼓作りの名人であった。けれどもこの鼓を作り上げた時に自分が思っている以外の気もちがまじっ
前へ 次へ
全42ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング