ンスタインの相対性云々よりも、もっと深刻透徹した名原則をあらわす公式なのだからね。……まずお聞きやれ……こんなわけだ。

 吾々は日常生活に於て、途上車上のいずれを問わず、到る処に「能」を見ることが出来る。しかもその「能」なるものは、そこいらにありふれた専門家が舞台の上でやるソレよりも、はるかに緊張充実したものだから面白いではないか……と言ったとて、決して眉に唾するような話ではない。極めてありふれた、道理至極した話なのだ。

 まず吾々の日常生活を煎じ詰めると、そこに「能」が現われて来る。換言すれば、ある一つの仕事を熱心誠実にくり返していると、その心境なり、その動作なりが、イツ知らず純一崇高化して来て、自然と能の型の均整美に接近して来るのだ。
 その中でも姿態の方から観察すると、労働者が習熟鍛練した業務の三昧に入っている時には、その体の構え、動作の位取り、心持ちの静かさまでが、「能そのまま」になっていることが珍しくない。老船頭が櫓柄につかまって沖合の一点を白眼《にら》みつつ、悠々と大浪を乗り切る、その押す手引く手や腰構えの姿態美は、ソックリそのまま名人の仕カタ開キであるまいか。その心境
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