いるのだ。盲人は私にぴったりとくっついて、鉄のような拳で私を掴み、堪えられないほどの重さで私に凭《もた》れかかっていた。「まっすぐに奴のところへつれて行って、奴に見えるとこまで来たら、『ビルさん、あんたの友達が来ましたよ。』って呶鳴《どな》るんだ。もししねえと、こうしてやるぞ。」そう言うと彼は私の腕をぐいとひっぱり上げたので、私は気が遠くなりそうに思った。あれやこれやで、私はこの盲乞食がすっかり怖くなったので船長の恐しさを忘れてしまい、談話室の扉《ドア》を開《あ》けると、言いつけられた言葉を震え声で呶鳴った。
 可哀そうに、船長は眼を上げると、一目でラムの気《け》がなくなり、まったく酔いが醒めてしまった。その顔の表情といったら、恐怖というよりもむしろ死病の表情であった。彼は立ち上ろうとしたが、しかし、それだけの力も体に残っていたとは私には思えない。
「さあ、ビル、そのままで坐ってろよ。」と乞食が言った。「眼は見えなくても、耳は指一本動かしたってわかるんだ。用事は用事さ。お前《めえ》の右の手を出してくんな。小僧、奴の右手の手頸を掴んで、俺の右手の近くへ持って来い。」
 私たちは二人とも寸分違わず盲人の言う通りにした。と、私は、盲人が杖を持っている手の掌中から、船長の掌の中へ、何かを渡したのを見た。船長は直ちにそれを握った。
「さあこれですんだ。」と盲人が言った。そしてその言葉を口にすると急に私を掴んでいる手を放し、ほんとうとは思えないくらいに見当も違えず素速く、談話室から街道へと跳び出し、私がまだじっと突っ立っていると、彼の杖の音が街道をこつ、こつ、こつ、こつと遠くまで行くのが聞えた。
 私か船長かが我に返ったようになるまでにはしばらく間があった。が、とうとう、そしてほとんど同時に、私はまだ掴んでいた船長の手頸を離し、彼の方は手をひっこめて掌の中をぱっと見た。
「十時!」と彼は叫んだ。「六時間ある。まだ奴らを出し抜けるぞ。」そして跳び立った。
 と同時に、彼はよろめき、咽喉へ手をあて、ちょっとの間ぐらぐらしながら立っていたが、それから、異様な声を立てながら、ばたりと俯伏に床《ゆか》へ倒れた。
 私は、母を呼びながら、直ちに彼のそばへ駆け寄った。が急いでももう無駄だった。船長は猛烈な卒中にやられて死んでしまっていた。奇妙なことだが、近頃こそ彼を可哀そうに思いかけてはいた
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