の形体になって来た。その制作の間を通じて、それは私を完全に捉えていた。私は、これらの頁の中になされかつ感じられているところのことを、自分ですべて確かになしかつ感じたくらいにまで、それらを実感したのである★。
かの大革命の前ないしはその間におけるフランスの人民の状態についてここに何等かの言及(いかにわずかなものであろうとも)がなされている時にはいつでも、それは、真に、最も信頼するに足る証拠に基いてなされているのである。カーライル氏の驚歎すべき書物★の哲学に何かを附け加えるということは何人にも望むことが出来ないけれども、あの怖しい時代についての一般の絵画的な理解の手段に何ものかを附け加えたいというのは私の希望の一つであったのである。
ロンドン、タヴィストック館★にて、 一八五九年十一月。
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第一巻 甦《よみがえ》る
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第一章 時代
それはすべての時世の中で最もよい時世でもあれば、すべての時世の中で最も悪い時世でもあった。叡智の時代でもあれば、痴愚の時代でもあった。信仰の時期でもあれば、懐疑の時期でもあった。光明の時節でもあれば、暗黒の時節でもあった。希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。人々の前にはあらゆるものがあるのでもあれば、人々の前には何一つないのでもあった。人々は皆真直に天国へ行きつつあるのでもあれば、人々は皆真直にその反対の道を行きつつあるのでもあった。――要するに、その時代は、当時の最も口やかましい権威者たちのある者が、善かれ悪しかれ最大級の比較法でのみ解さるべき時代であると主張したほど、現代と似ていたのであった。
イギリスの玉座には、大きな顎をした国王と不器量な顔をした王妃とがいた。フランスの玉座には、大きな顎をした国王と美しい顔をした王妃とがいた★。どちらの国でも、現世の利得を保持している国家の貴族たちには、天下の形勢が永久に安定しているということは水晶よりも明かなのであった。
それはキリスト紀元一千七百七十五年のことであった。その恵まれた時代には、現代と同様に、さまざまの心霊的な啓示がイギリスに授けられた★。サウスコット夫人★は彼女の第二十五囘の祝福された誕生日を迎えたばかりであったが、近衛騎兵聯隊の予言者の一兵卒が、ロンドンとウェストミンスター★とを呑み込む手筈が出来ていると言い触らして、彼女の荘厳な出現を先触れしていた。例の雄鶏小路《コック・レーン》の幽霊★でさえ、あの昨年の精霊も(不可思議にも独創力に欠けていて)御託宣《メッセジ》をやはりこつこつと叩いて知らせたように、自分の御託宣《メッセジ》をこつこつと叩いて知らせた後に、鎮められてから、ちょうど十二年たったに過ぎなかった。それとは違って俗世界の出来事であるが、ただの音信《メッセジ》が、つい先頃、アメリカにおける英国臣民の会議から、イギリスの国王ならびに人民宛にやって来た★。不思議なことには、この音信《メッセジ》の方が、これまで雄鶏小路《コック・レーン》のどの雛《ひよっこ》から受け取ったどんな通信よりも、人類にとってもっと重要なものであるということが、後にわかったのである★。
心霊的な事柄では概して楯と三叉戟との姉妹国★ほどに恵まれていなかったフランスは、紙幣を造ってはそれを使い果して、素晴しい勢で下り坂を転げ落ちていた★。その他《ほか》、キリスト教の牧師たちの指導の下に、フランスは、一人の青年がおおよそ五六十ヤードばかり離れた視界の内を通り過ぎる修道僧たちの穢《きたな》らしい行列に敬意を表するために雨中に跪《ひざまず》かなかったからといって、その青年の両手を切り取り、舌を釘抜《くぎぬき》で引き抜き、体を生きながら焼くように、宣告したりするような慈悲深い仕事をして楽しんでいた。その受難者が死刑に処せられた時に、フランスやノルウェーの森林には、歴史上にも怖しい、嚢と刃物との附いているある動かし得る枠細工★を作るために、伐り倒されて板に挽かれるようにと、運命という樵夫《きこり》が既に印《しるし》をつけておいた樹木が、生い繁っていたのであろう。また、その日には、死という農夫がかの大革命の時の自分の死刑囚護送馬車にするために既に取除けておいた粗末な荷車が、パリー近隣のねとねとした土地を耕している百姓たちのむさくるしい納屋の中に、田野の泥にまみれ、豚に嗅ぎ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]され、禽《とり》どもに塒《とや》にされて、雨露を防いでいたのであろう。しかし、その樵夫《きこり》とその農夫とは、絶えず働いてはいるけれども、黙々として働いているのである。それで、彼等が跫音《あしおと》を忍ばせながら歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]っているのを、誰一人として聞きつけはしなかった。彼等が目を覚しているのではなかろうかと疑いを抱くだけでも、無神論者で叛逆者になるというのであったから、それはなおさらのことであったのだ。
イギリスでは、大層な国民的の自慢ももっともだというだけの秩序や保安は、すこぶる怪しいものだった。武器を携えた連中の大胆不敵な押込強盗や、大道強奪は、首都でさえ毎晩のように行われた。市内の家庭へは、家具を家具商の倉庫に移して安全にしてからでなければ市外へ出てはならぬと、公然とお達しがあった。夜の追剥《おいはぎ》は昼間《ひるま》は本市《シティー》★で商売をしている男であった。そして、「首領《キャプテン》★」の資格で止れと命じた自分の仲間の商人に正体を見破られて詰《なじ》られると、勇ましくその男の頭を射貫《いぬ》いて馬を飛ばして逃げ去った。駅逓馬車★が七人の剽盗に待伏せされ、車掌がその中の三人を射殺したが、「弾薬が欠乏したために」自分も残りの四人に射殺された。その後で駅逓馬車の客は無事安穏に掠奪された。あの素晴らしい勢力家のロンドン市長も、ターナム・グリーン★で一人だけの追剥に立ち止って所持品を渡せとやられたものだった。追剥はその著名な人物を彼の随行員一同の目の前で剥奪したのであった。ロンドンの監獄の囚人が獄吏と戦闘をし、弾丸を籠めた喇叭銃《らっぱじゅう》★が尊厳なる法律によって囚人たちの中へ撃ち込まれたこともあった。盗賊どもが宮廷の引見式で貴族たちの頸から金剛石《ダイヤモンド》の十字架を切り偸んだこともあった。銃兵たちが密輸品を捜索するためにセント・ジャイルジズ★へ入って行くと、暴民が銃兵に発砲し、銃兵が暴民に発砲したこともあった。が、誰一人としてこれらの出来事のどれ一つをも大して変ったこととは考えなかったのである。こうした出来事の最中に、いつも多忙でいつも無益であるよりも有害な絞刑吏は、のべつに用があった。時には、ずらりと並んだいろいろな罪人を片っ端から絞殺したり、時には、火曜日に捕えられた強盗を土曜日に絞首にしたり、時には、ニューゲート★で十二人ずつ手に烙印を押したり、また時には、ウェストミンスター会館《ホール》★の入口のところで小冊子《パンフレット》を焼き棄てたりした。今日《きょう》は、兇悪な殺人者の命《いのち》を取るかと思うと、明日《あす》は、百姓の倅《せがれ》から六ペンスを奪ったけちな小盗の命《いのち》を取ったりした。
こういうすべての事柄や、これに類した数多《あまた》の事柄が、その親愛なる一千七百七十五年とそのすぐ前後に起っていたのであった。例の樵夫《きこり》と農夫とが誰にも気づかれずに働いていた間、そういう事柄に取巻かれながら、大きな顎をしたあの二人と、不器量な顔と美しい顔をしたあのもう二人とは、すこぶる堂々と歩み、彼等の神授の王権を傲然と携えて行った。こういう風にして、一千七百七十五年は、その王者たちや、無数の微賤な人々――この物語に出て来る人々をもその中に含めて――を導いて、彼等の前に横わる道を進ませたのである。
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第二章 駅逓馬車
十一月も晩《おそ》くのある金曜日の夜、この物語と交渉のある人物の中の最初の人の前に横わっていたのは、ドーヴァー街道であった。そのドーヴァー街道は、その人の前にと同じく、シューターズ丘《ヒル》★をがたがたと登ってゆくドーヴァー通いの駅逓馬車の先に横わっているのであった。その人は駅逓馬車の脇に沿うて泥濘の中を阪路を歩いて登っていたのであるが、他の乗客たちもやはりそうしていた。それは、何も彼等がこういう場合に少しでも歩行運動に趣味を持っていたからではなく、その丘も、馬具も、泥濘《ぬかるみ》も、馬車も、みんなひどく厄介なものだったので、馬どもはそれまでにもう三度も立ち停ったし、おまけに一度などは、ブラックヒース★へ馬車を曳き戻そうという反抗的な意思をもって、街道を横切って馬車を牽き曲げたからなのである。しかし、手綱と鞭と馭者と車掌とが、一緒になって、放置しておけば、動物の中には理性を賦与されているものもいるという議論に非常に都合のよくなる目論《もくろみ》を、禁止するところのあの軍律を、読み聞かせた★のだ。それで、馬どもも降参して、彼等の任務をまたやり出したのだった。
彼等は、頭をうなだれ尾を震わせながら、折々は、四肢の附根《つけね》のところで潰れはしないかと思われるくらいに、足掻《あが》いたり躓《つまず》いたりして、どろどろの泥の中を進んで行った。馭者が、油断なく「どうどう! はい、どうどう!」と言いながら、彼等を立ち止らせて休ませるたびに、左側の先導馬は、いかにも並外れて勢のある馬らしく――頭や頭に附いているすべてのものを激しく振り動かし、こんな丘へこんな馬車を曳き上げるなんてことが出来るものかと言っているようだった。その馬がそういう音を立てるたびごとに、例の旅客は、神経質な旅客ならするように、びくっとして、心がどきどきするのであった。
谷間という谷間には濛々《もうもう》たる霧がたちこめていた。そして、悪霊のように、安息を求めて得られずに、寄るべなく丘の上へさまよい上っていた。じっとりした、ひどく冷い霧、それが、荒れた海の波のように、目に見えて一つ一つと続いて拡がっている漣《さざなみ》をなして、空中をのろのろと進んで来る。馬車ランプの燃えているのと、その附近の道路の数ヤードとを除いては、何もかもランプの光から遮っているくらいに、濃い霧だった。そして、喘ぎながら曳っぱっている馬の立てる湯気がそれと雑《まじ》り、その霧がみんな馬の吐き出したものかと思われるほどであった。
例の旅客の他《ほか》に、もう二人の旅客が、その駅逓馬車の脇に沿うて丘をのそりのそりと登っていた。三人とも、耳の上も頬骨のところまでも身をくるんでいて、膝の上までの大長靴を穿いていた。この三人の中の誰一人も、自分の見たことからは、他の二人のどちらかがどういう類《たぐい》の人物であるか言えなかったろう。また、銘々は、自分の二人の道連《みちづれ》の肉眼に対してと同様に、彼等の心眼に対しても、ほとんど同じくらいたくさんのものを纒って自分を隠していた。その頃の旅人は、ちょっと知り合っただけで打解けることをひどく嫌っていたのである。というのは、道中で逢う人間は誰であろうと、それが追剥か、追剥とぐるになっている者であるかもしれなかったからである。その追剥とぐるになっているということなら、何しろ、宿駅★という宿駅、居酒屋という居酒屋には、亭主から一番下っぱの怪しげな厩舎係までにわたって、「首領《キャプテン》」の手当を貰っている者が誰かしらいるという時代では、それはいかにもありそうなことなのだ。そんなことをドーヴァー通いの駅逓馬車の車掌が腹の中で思ったのは、一千七百七十五年の十一月のその金曜日の夜、シューターズ丘《ヒル》をがたがた登りながらのことで、その時、彼は馬車の後部にある自分だけの特別の台に立って、足をどんどんと踏み、自分の前にある武器箱に目と片手とを離さずにいた。その武器箱の中には、彎刀《わんとう》を一番下にして、その上に七八挺の装薬した馬上拳銃が置いてあり、それの上に一挺の装薬した喇叭銃が載せてあったのだ。
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