脱がせ申すんだぞ。(上等の石炭で火が燃やしてございますよ、旦那。)床屋さんを和合《コンコード》の間へ呼んで来ておあげなさい。さあさあ、和合《コンコード》の間の御用をさっさとするんだよ!」
その和合《コンコード》の寝室というのはいつも駅逓馬車で来た旅客にあてがわれていたので、そして、駅逓馬車で来た旅客たちはいつも頭の先から足の先までぼってり身をくるんでいたので、その室は、ロイアル・ジョージ屋の人々にとっては、そこへ入って行くのはただ一種類だけの人に見えるが、そこから出て来るのはあらゆる種類のさまざまの人であるという、妙な興味があるのだった。そういう訳で、六十歳の一紳士が、大きな四角いカフスとポケットに大きな覆布《ふた》のついている、かなり著古してはあるが、極めてよく手入れのしてある茶色の服に正装して、朝食をとりに行く時には、別の給仕と、二人の荷持と、幾人かの女中と、女主人とが、和合《コンコード》の間と食堂との間の通路の処々方々に偶然にもみんなぶらぶらしていたのであった。
食堂には、その午前、この茶色服の紳士より他《ほか》に客はなかった。彼の朝食の食卓は炉火の前へ引き寄せてあった。そして、その火の光に照されながら、食事を待って腰掛けている間、彼は余りじっとしているので、肖像画を描《か》かせるために著席しているのかと思われるくらいであった。
彼はすこぶるきちんとして几帳面に見え、両膝に手を置き、音の大きな懐中時計は、あたかもかっかと燃えている炉火の軽躁さとうつろいやすさとに自分の荘重さと寿命の永さとを競《きそ》わせるかのように、垂片《たれ》のあるチョッキの下で朗々たる説教をちょきちょきちょきちょきとやっていた。彼は恰好のよい脚をしていて、少しはそれを自慢にしていたらしい。というのは、茶色の靴下はすべすべとぴったり合っていて、地合が上等のものであったし、緊金《しめがね》附きの靴も質素ではあったが小綺麗なものだったから。彼は、頭にごくぴったりくっついている、風変りな小さいつやつやした縮れた亜麻色の仮髪《かつら》をかぶっていた。この仮髪《かつら》は髪の毛で作られたものであろうが、しかしそれよりもまるで絹糸か硝子質の物の繊維で紡いだもののように見えた。彼のシャツ、カラー類は、靴下と釣合うほどの上等なものではなかったが、近くの渚に寄せて砕ける波頭《なみがしら》か、海上遠くで日
前へ
次へ
全171ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 直次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング