い、とあたくしは思いますわ。」
「それあそうですよ。」と、見たり聞いたりするのに跪いていたドファルジュは、言った。「そればかりじゃありません。ムシュー・マネットは、あらゆる理由から、フランスを去られる方が一番いいんです。じゃあ、わっしは馬車と駅馬を雇って来ましょうか?」
「それは事務ですな。」とロリー氏は、すぐさま彼の几帳面な態度に返りながら、言った。「事務をやらねばならんのでしたら、わたしがやる方がいいでしょう。」
「では、どうぞあたくしたち二人をここに残しておいて下さいまし。」とマネット嬢は言い張った。「御覧の通り父はこんなに落著いて参りましたから、もう父をあたくしと一緒に残してお出でになりましても御心配はございません。どうして御心配なことなどございましょう? 誰も入って来ませんように扉《ドア》に錠を下して下さいますなら、きっと、父は、あなた方がお戻りになります時には、お出かけの時と同じように穏かにしておりますでしょうよ。何にしましても、あなた方がお帰りになりますまであたくしは父を預りましょう。そしてお帰りになりましたらあたくしたちは早速父を連れ出すことにいたしましょう。」
 ロリー氏もドファルジュも二人とも、このやり方は幾分気が進まず、二人の中のどちらか一人が残ることに賛成であった。けれども、馬車と馬の手配りをしなければならぬだけではなく、旅行免状の手配りもしなければならなかったし、それに、日も暮れようとしていて、時間が切迫していたので、とうとう、ぜひしなければならない用事を大急ぎで二人に分けて、それをしに二人が急いで出かけるということになった。
 それから、闇が迫って来ると、娘は自分の頭を父親のすぐ傍の堅い床《ゆか》の上に横えて、彼を見守っていた。闇はだんだんと濃くなって来た。そして二人は静かに横わっていた。そのうちに、とうとう、壁の例の隙間から灯光が一つちらちら洩れて来た。
 ロリー氏とムシュー・ドファルジュとが、すっかり旅行の準備をすませて、旅行用の外套や肩掛膝掛などの他《ほか》に、パンと肉、葡萄酒、熱い珈琲を携えて来た。ムシュー・ドファルジュは、この食糧と、彼の持っているランプとを、靴造りの腰掛台《ベンチ》(その屋根裏部屋にはそれ以外に藁蒲団の寝台《ベッド》が一つあるだけだった)の上に置いた。それから彼とロリー氏とは囚人を呼び覚し、助けて立ち上らせた。
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