をしたことがある。それに対して僕はごく機嫌よく、この怨《うら》みは忘れないぞと言ってやった。だから、彼も自分に一杯食わせた人間が誰だか知りたく思うに決っているだろうから、手がかりを与えないのはかわいそうだと僕は考えたんだ。彼は僕の筆蹟をよく知っている。で、僕はただ白紙の真ん中にこう書いておいたよ、――
[#地から6字上げ]‘――Un dessein si funeste,
S'il n'est digne d'〔Atre'e〕, est digne de Thyeste.’
[#地から6字上げ]「――かかる痛ましき企みは、
よしアトレにふさわしからずとも、ティエストにこそふさわしけれ(19)」
とね。これはクレビヨン(20)の『アトレ』のなかにある文句なんだ」
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(1) Lucius 〔Annae&us〕 Seneca(前四ごろ―六五)――有名なローマの哲学者。
(2) この警視総監G――氏は前の『モルグ街の殺人事件』にも『マリー・ロジェエの怪事件』にもちょっと出ているが、ボードレールは、ポーは“M. Gisquet”のことを考えていたにちがいないと言っている。「ジスケエ氏」というのは Henri Joseph Gispuet(一七九二―一八六六)のことで、この作の書かれる十年ほど前まで、パリの警視総監をしていた男である。もっとも、似ているのは頭文字と、警視総監であったということだけである。
(3) 一インチの十二分の一。
(4) John Abernethy(一七六四―一八三一)――イギリスの医者。解剖学者であり生理学者であったがとくに、その奇矯な人格をもって知られていた。
(5) Procrustes――古代ギリシャの伝説のアッティカの強盗で、人を捕えたたびごとに鉄の寝床に寝かせ、その身長が寝台より長いときはその余った部分を斬り縮め、短かければ引き延ばして同じ長さにして殺したと言い伝えられている。
(6) 〔Franc,ois〕 la Rochefoucauld(一六一三―八〇)――“Maximes”の筆者としてよく知られているフランスの著作家。
(7) Jean de la 〔Bruye`re〕(一六四五―九六)――フランスの著作家。ハリスン版やその他にはこの名が La Bougive となっているが、イングラム版、ステッドマン・ウッドベリー版、ボードレール本には La 〔Bruye`re〕 となっている。
(8) Niccolo Machiavelli(一四六九―一五二七)――イタリアの政治家、著作家。
(9) Tommaso Campanella(一五六八―一六三九)――イタリアの僧侶、哲学者。
(10) non distributio medii――論理学上の術語で、三段論法において、媒辞《ばいじ》が両方の前提ともに不周延である誤謬《ごびゅう》をいう。「すべての馬鹿は詩人である(大前提)。彼は詩人である(小前提)。ゆえに彼は馬鹿である(結論)」というこの総監の三段論法において、「馬鹿」は大名辞であり、「彼」は小名辞であり、「詩人」は媒辞(中名辞)である。媒辞は、大前提と小前提との関係を媒介するものであるから、少なくとも一度は周延(拡充)されていなければならない。すなわちその概念の全体の範囲にわたっての主張でなければならない。しかしこの論法においては「詩人」という媒辞はどちらの前提でも周延されていない。すなわち、単にその一部分のみについて主張されたにすぎない。ゆえにこの結論は誤っている。こういう誤りを、論理学では媒辞(中名辞)不周延(不拡充)の誤謬という。
(11) Nicholas Chamfort(一七四一―九四)――フランスの文人。箴言《しんげん》、警句の筆者として知られていた。
(12) ラテン語の“ambitus”は「投票を依頼するために走りまわること」、「官職を得るために奔走すること」の意味であって、それから出た英語の“ambition”(野心)とは少し意味が違う。
(13) ラテン語の“religio”は「注意深いこと」、「律義」、「几帳面」というような意味で、それから出た“religion”(宗教)を意味しない。
(14) “homines honesti”は「有名な人々」の意味で、“honorable men”(立派な人々)を意味しない。
(15) Jacob Bryant(一七一五―一八〇四)――イギリスの考古学者“A New System or an Analysis of Ancient Mythology”の著がある。
(16) 「地獄に降るは易し」。――ヴェルギリウスの“〔AE&neis〕”第六巻一二六行。
(17) Angelica Catalani(一七八〇?―一八四九)――イタリアの有名なソプラノの歌手。
(18) 「恐ろしき怪物」。――ヴェルギリウスの“〔AE&neis〕”第三巻六五八行。
(19) 「――かかる痛ましき企みは、よしアトレにふさわしからずとも、ティエストにこそふさわしけれ」――クレビヨンの悲劇“〔Atre'e〕 et Thyeste”第五幕第四場。(アトレとティエストとの兄弟の話はギリシャの残忍な伝説であって、ティエストはアトレの妻を誘惑し、アトレはその復讐《ふくしゅう》のためにいつわって和解の宴を張り、ティエストを招き、ティエストの三人の子を殺してその肉を父に食わせたという)
(20) Prosper Jolyot de 〔Cre'billon〕(一六七四―一七六二)――フランスの悲劇詩人。“〔Atre'e〕 et Thyeste”はその一七〇七年の作である。
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底本:「モルグ街の殺人事件」新潮文庫、新潮社
1951(昭和26)年8月15日発行
1977(昭和52)年5月10日40刷改版
1986(昭和61)年10月15日59刷
※(1)〜(20)は訳注番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように小書きされています。また数字は縦中横になっています。
入力:鈴木厚司
校正:小酒井博士
2004年5月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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