ていたが、この子は『丁か半か』という勝負で言い当てるのがうまくて、みんなに褒められていた。この勝負は簡単なもので、弾石《はじきいし》でやるのだ。一人がこの石を手にいくつか持っていて、相手にその数が丁か半かときく。もし当てたら、当てたほうが一つ取るし、違ったら、一つ取られるのだ。いま言ったその子供は学校じゅうの弾石をみんな取ってしまったものだよ。むろん、彼は当てる法則といったようなものを持っていたのだ。というのは、ただ相手のはしっこさを観察して、その程度をはかるということなんだ。たとえば、まったくの馬鹿が相手になっていて、握った手を上げて、『丁か半か?』ときく。その生徒は『半』と答えて、負ける。が二度目には勝つ。というわけは、彼はこう考えるのだ、『この馬鹿は初めに丁を持って勝ったんだから、こいつの利口さの程度ではちょうど、二度目には半を持つくらいのところだろう。だから半と言ってやろう』とね。――そこで半と言って勝つのだ。それから、相手がこれとはもう少し上の馬鹿だと、彼はこういうふうに考える。『こいつは初めに僕が半と言ったので二度目にはすぐ、前の馬鹿のように、簡単に丁から半へ変えようとするだろう。が考えなおしてこれはあまり簡単な変え方だと思いつき、結局やはり前のように丁を持つことに決めるだろう。だから丁と言ってやろう』とね。――で、『丁』と言って、勝つんだ。そこで、仲間の者たちに『運が強い』と言われていたその生徒のこの推理の方法だね、――これは最後まで分析すると、何かね?」
「それはただ推理者の知力を相手の知力と合致させることにすぎんね」と私は言った。
「そうなんだ」とデュパンが言った。「で、僕はこの子供に、彼の成功の基であるその完全な[#「完全な」に傍点]合致をどんな手段でやるのかと尋ねたら、こう答えた。『僕は、誰かがどれくらい賢いか、どれくらい間抜けか、どれくらい善い人か、どれくらい悪い人か、またその時のその人の考えがどんなものか、というようなことを知りたいと思うときには、自分の顔の表情をできるだけ正確にその人の表情と同じようにします。それから、その表情と釣り合うように、または一致するようにして、自分の心や胸に起ってくる考えや気持を知ろうとして待っているんです』というのさ。この生徒のこの答えは、ロシュフコー(6)や、ラ・ブリュイエール(7)や、マキアヴェリ(8)や、カンパネラ(9)のものとされている、あの、あらゆる贋《にせ》の深遠さよりも深いものだよ」
「で、その推理者の知力を相手の知力と合致させることはだね」と私は言った。「もし君の言うことを僕が誤解していないなら、相手の知力をはかる正確さのいかんによるね」
「実際上の価値としては、そういうことになるね」とデュパンは答えた。「で、総監やその部下たちが、あんなにちょいちょい失敗するのは、第一に、その合致が欠けているためで、第二には、相手の知力のはかり方が悪いため、というよりも、むしろはからないためなんだ。彼らはただ自分たち自身[#「自身」に傍点]の工夫力だけしか考えない。そしてなんでも隠されたものを捜すのに、自分たち[#「自分たち」に傍点]の隠しそうな方法だけしか気がつかない。彼ら自身の工夫力が普通一般人[#「普通一般人」に傍点]の工夫力の忠実な代表であるという点までは――これは正しい。が、特殊の悪人の狡知《こうち》と、彼ら自身の知恵の質が異なっている場合には、もちろん彼らはしくじってしまう。これは相手の狡知が彼らより以上のときにはいつもそうだし、その以下の場合にもたいていそうなんだ。彼らは調査をするとき決して方針を変えるということをしない。せいぜい、なにか非常な出来事――なにかすばらしい報酬など――で励まされると、自分たちの方針は変えないで、ただもとのやり方[#「やり方」に傍点]を拡張し、また大げさにする。たとえばこのD――の場合に、行動の方針を変えるためにどんなことがされたか? あんなふうに穴をあけたり、探針で探ったり、叩いて音を試したり、拡大鏡でこと細かに調べたり、建物の表面を平方インチに区画して番号をつけたりすること――そんなことはみんな、総監が長いあいだの在職中に見慣れてきた、人間の工夫力に関する一連の考えを基礎にしている探索方針の一つ、あるいはいくつかを、大げさに応用したものにすぎんじゃないか? 彼は、あらゆる[#「あらゆる」に傍点]人間は手紙を隠すのに、――必ずしも椅子の脚に錐で穴をあけないにしても――少なくとも、椅子の脚の錐穴に手紙を隠そうとするのと同じような考えから思いついた、どこか[#「どこか」に傍点]たやすく人目につかぬ穴か隅っこに――隠すものだ、と決めこんでいるじゃないか? が、そういう念の入った隅っこに隠すことは、ただ普通の場合にだけ用いられるもので、ただ平凡な知力の者が用いるだけじゃないか。なぜかと言えば、ものを隠す場合にはみな、その隠す品物をそういう念入りの方法で処置するということは――まず第一に考えられることだし、推量されることなんだからね。だから、それの発見は、ちっとも探索者の明敏さいかんによるのではなくて、ぜんぜん単なる注意と、忍耐と、決意とによるのだ。そして事件が重大な場合には――あるいは、警察官の眼にはどうせ同じことだが、つまり報酬が多いときには――そういう特性は決して[#「決して」に傍点]欠けるはずはない。というわけだから、もしあの盗まれた手紙が総監の調査の範囲内のどこかに隠してあったなら――言葉をかえて言えば、それの隠匿の方針が総監の方針のなかにあるものだったなら――それの発見はぜんぜん疑いの余地はなかったろう、と僕の言おうとしたことは君にはもうわかったろう。それなのに、あの先生はすっかり煙《けむ》に巻かれてしまった。そして彼の失敗の遠因は、あの大臣は馬鹿である、なぜなら彼は詩人としての名声を得ているから、と推定したことにあるのだ。すべての馬鹿は詩人であると、こう総監は自分で思っている[#「思っている」に傍点]。そして彼はそこから、すべての詩人は馬鹿である、と推論して、ただ媒辞不周延《ノーン・ディストリブーティオー・メディイー》(10)の誤謬に陥ったのさ」
「だが詩人というのはほんとうかね?」と私は尋ねた。「兄弟が二人あるということは聞いているし、二人とも文名はある。だが、たしかあの大臣のほうは微分学についてかなり博学な著述があったと思うよ。あの男は数学者であって、詩人じゃあないよ」
「いや、違うよ。僕はあの男をよく知っている。彼はその両方なんだ。詩人兼[#「兼」に傍点]数学者なればこそ、彼はよく推理するのだ。単なる数学者にすぎなかったら、彼は推理なんぞはちっともできなくて、総監の思うままになったろう」
「こりゃあ驚くね」と私は言った。「そういう意見は世間の通説とまるで矛盾しているからね。君は何世紀ものあいだ十分理解されてきた考えを無視しようとするんじゃあるまいな。数学的な推理こそ、長いあいだ特に優れた推理と見なされてるんだからねえ」
「『|あらゆる公衆一般の観念、あらゆる世間一般に承認されたる慣例は愚かなるものと思わばまちがいなし。なんとなれば、そは衆愚を喜ばしむるものなればなり《イリヤ・ア・パリエ・ク・トゥティデェ・ピュブリク・トゥト・コンヴァンシオン・ルシュ・エ・テュヌ・ソティーズ・カアル・エラ・コンヴニュ・オ・プリュ・グラン・ノンブル》』さ」とデュパンはシャンフォオル(11)の言葉を引用して答えた。「いかにも数学者は、君のいま言ったその世間一般の誤謬をひろめるのに全力を尽してきたが、それは真理としてひろまっていたとしても、やっぱりりっぱな誤謬だよ。たとえば、彼らはこんなことを用いてはもったいないような技巧をもって、『分析』という言葉を代数学に適用させてしまった。このごまかしの元祖はフランス人だよ。だが、もし言葉というものが少しでも重要なものであるなら――つまり、言葉というものが事がらに適用されることによってなんらかの価値を生むものであるならだね――『分析』が『代数学』を意味しないことは、ラテン語で“ambitus”が‘ambition’を意味せず(12)、“religio”が‘religion’を意味せず(13)、あるいはまた“homines honesti”が‘honorable men’を意味しない(14)くらいの程度なんだ」
「君はいまパリの代数学者たちを相手に喧嘩《けんか》してるんだね。だが、まあ話をつづけたまえ」
「僕は、絶対的に論理的な形式以外の、あらゆる特殊の形式でなされる推理の効力に、したがってまたその価値に、反対する。とりわけ、数学的の研究によって引き出された推理に、反対する。数学は形式と数量との科学であって、数学的の推論は形式と数量との観察に適用された論理にすぎない。純粋[#「純粋」に傍点]代数学と言われているものの真理でさえ、それが絶対的の、普遍的の、真理であると想像するところに、大きな誤謬があるんだよ。そしてこの誤謬は実にひどいものなので、それが広く一般に信ぜられているのには僕もびっくりするね。数学の公理は普遍的な真理の公理ではない[#「ない」に傍点]のだ。関係[#「関係」に傍点]――形式と数量との関係――について真であることも、たとえば倫理学などに関しては、しばしば非常にまちがったものであることがある。倫理学では、部分の総和は全体に等しいということはたいがい真ではない[#「ない」に傍点]。化学においてもやはりその公理は駄目だ。動機の考究にしたってもそうだよ。なぜかと言えば、ある与えられた価値を持つ二つの動機は、それを合わせても、必ずしもその個々の和に等しい価値にはならないからね。このほかにも、まだ関係[#「関係」に傍点]の範囲内でだけ真理であるにすぎない数学的真理がたくさんある。しかし数学者は習慣上、彼の限定された真理[#「限定された真理」に傍点]から、まるでそれが絶対的になににでも適用されるものであるかのように、論ずるのだ。――そして世間も実際そうだと想像しているんだがね。ブライアント(15)が、あのたいへん該博な『神話学』のなかで、『だれも異教徒の寓話《ぐうわ》を信じはしないが、それでいて、我々はいつもうっかり、それらの寓話を実在するものと思って、それらから推論をする』と言っているのは、それに似た誤謬の源を言っているのさ。ところが、かの代数学者たちは異教徒そのものなんで、彼らはその『異教徒の寓話』を信じている[#「いる」に傍点]のだ。そして、彼らがその推論をするのは、ついうっかりして忘れてやるよりも、わけのわからぬ頭の悪さからやるんだからな。要するにだね、ただの数学者で等根以外のことで信用できる人、あるいは x2[#「2」は上付き小文字]+px が絶対的にかつ無条件にqに等しいということをひそかに自分の信条としていない人には、僕はいままでお目にかかったことがないよ。まあ、ためしに、そういう紳士方の一人に、x2[#「2」は上付き小文字]+px が必ずしもqに等しくない[#「ない」に傍点]場合もありうると思う、と言ってやってご覧なさい。そして君の言おうとしていることを相手にわからせたら、できるだけさっさとその男の手のとどかないところへ逃げたまえ、きっと彼は君をはり倒そうとするだろうからね」
彼の最後の言葉を聞いて私がただ笑っていると、彼は話をつづけた。「僕の言おうとするのは、もしあの大臣が数学者であるだけだったら、総監はこの小切手を僕にくれる必要がなかったろう、ということなんだ。しかし僕は彼が数学者でありかつ詩人であることを知っていたので、僕の物差を、彼の周囲の事情を考えて、彼の才能に適合させたのだ。僕はまた廷臣としての、また大胆な陰謀家《アントリガン》としての彼をも知っていた。そういう人間が警察の普通のやり方を知らないはずはないと僕は考えた。彼は自分が待ち伏せされることを予想しないはずがなかったろう。――そして事実は彼がそれを予想したことを示している。彼は自分の屋敷が秘密に調べら
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 直次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング