(2) 一七五五年十一月一日のリスボンの大地震。死者約四万人に達した。
(3) 一六六五年よりその翌年にかけて、ロンドンに疫病が流行し、当時のロンドンの住民の約三分の一、七万人が斃《たお》れた。
(4) 一五七二年八月二十四日、セント・バーソロミューの祭日の夜半から始まったパリおよび各地方におけるフランスの新教徒《ユグノー》の大虐殺。その犠牲者の数は二万ないし三万にのぼった。
(5) 一七五六年六月二十日、インド土人の大守シュラジャー・ドーラーによって、百四十六人のイギリス人の俘虜が、カルカッタのわずか十八フィート四方の狭い牢獄のなかへ押しこまれた。その翌朝、二十三人をのぞいて他の百二十三人はことごとく窒息のために死んでいた。
(6) 旧約伝道の書第十二章第六―七節、「然《しか》る時には銀の紐[#「銀の紐」に傍点]は解け金の盞[#「金の盞」に傍点]は砕け吊瓶《つるべ》は泉の側に壊《やぶ》れ轆轤《くるま》は井《いど》の傍《かたわら》に破《わ》れん、而《しか》して塵《ちり》は本《もと》の如《ごと》く土に帰り霊魂《たましい》はこれを賦《さず》けし神にかえるべし」
(7) 穿顱錐《せんろすい》で頭蓋骨を穿《うが》つ手術。あるいは円錐《えんきょ》術とも言う。
(8) 静脈を切って血を出す治療法。
(9) body−snatcher――解剖の目的のためにひそかに墓をあばいて死体を盗む者。イギリスにおいては一八三二年に解剖法令が出るまでは、ただ殺人者の死体だけが解剖を許されていたが、解剖学の進歩とともに死体が大いに不足するにいたった。そこでこの「死体盗人」というものがおびただしくできて、諸所の墓をあばいて死体を盗み、それを解剖者に売ることを業としたのである。(それを防ぐためには鉄の棺に入れて埋葬しなければならなかったという)――この死体盗人はまた resurrectionist とも言われる。このステープルトン氏を発掘した連中のごときはまさに言葉本来の意味での resurrectionist であろう。
(10) Catalepsy――類癇、または全身硬直と訳される。
(11) Buchan(一七三八―九一)スコットランドの宗教狂信家。彼女は自らヨハネ黙示録第十二章の婦であると信じ、その信者は Buchanites と称せられた。
(12) “Night Thoughts”――Edward Young(一六八一―一七六五)の有名な詩“Night Thoughts : Night I (on Life, Death and Immortality).”and Night II (on Time, Death and Friendship).”のことであろう。
(13) Carathis――Wiliam Beckford(一七五九―一八四四)の東洋ロマンス“Vathek”(この物語は一七八七年にフランス語で出版され、その数年前に誰かの英訳が流布したりして問題を起し、当時ヨーロッパに広く読まれたものらしい。――最近も、エピローグを付したこの物語の最初の完全な版と称する二巻が、原文のフランス語でオックスフォードから出版された)の主人公の母。占星術の達人。
(14) Oxus――中央アジアのアム・ダリア河の古名。
(15) Afrasiab――Abul Kasim Mansur(九四〇ごろ―一〇二〇、ペルシャの大叙事詩人)の“Shahnamah”(「諸王の書」の意。イランおよびペルシャの君主英雄の行為を歌った約六万対句の叙事詩)の中の Turan 王 Pesheng の子。イランの諸王との長い戦争ののちに捕えられて殺される。
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底本「モルグ街の殺人事件」新潮文庫、新潮社
1951(昭和26)年8月15日発行
1977(昭和52)年5月10日40刷改版
1998(平成10)年12月25日78刷
※本文中の(1)〜(15)は訳注番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように小書きされています。また数字は縦中横になっています。
入力:江村秀之
校正:鈴木厚司
2005年1月27日作成
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