す望みのない昏睡状態に陥って、とうとう死んでしまったと考えられた。天気は暖かであった。そして彼は無作法にもあわただしく公共墓地に埋葬された。葬式は木曜日に行われたが、その次の日曜日、墓地の内はいつものとおり墓参者でたいへん混雑していた。ところが正午ごろ一人の農夫が、その士官の墓の上に腰を下ろしていると、ちょうど下で誰かがもがいてでもいるように地面が揺れるのをはっきりと感じた、と言いたてたので、たいへんな騒ぎが起った。初めは誰もほとんどこの男の言うことを気にかけなかったが、彼のあからさまな恐怖と、その話をしきりに言い張る頑固なしつこさとは、とうとう自然に人々の心を動かしたのであった。鋤《すき》が急いで持ちこまれた。墓は気の毒なほど浅かったので、二、三分でそのなかの士官の頭が見えるくらいに掘り出された。彼はそのとき外見上は死んでいるように見えたが、棺のなかにほとんど真っすぐになって坐り、棺の蓋は彼がはげしくもがいたためにいくらか持ち上げられていた。
 彼はすぐに最寄りの病院に運ばれたが、そこで仮死状態ではあるがまだ生きていると断定された。数時間ののち彼は生き返って、知人の顔を見分けることができた。そしてきれぎれの言葉で墓のなかでの苦痛を語った。
 彼の言うところによると、彼が埋められて無感覚になってしまうまでに一時間以上も生存を意識していたことが明らかであった。墓は不注意に、また無造作に土で埋められて孔が非常に多かったので、必然的に空気がいくらか入ることができた。彼は頭上に群集の足音を聞き、いちいち自分のいることを知らせようと努めた。彼の言うところでは、深い眠りから彼をよび覚ましたらしいのは、墓地のなかの雑踏であったが、目が覚めるとすぐ、彼には自分の恐ろしい位置が十分きっぱりとわかったのであった。
 記載されるところによると、この患者は経過がよくて間もなく全快しそうに思われたが、とうとう藪《やぶ》医術の犠牲になってしまった。彼は流電池をかけられたのだが、ときどき起るあの精神昏迷の発作が起きて、とつぜん絶息したのである。
 流電池のことを言えば、私は有名で、またたいへん異常なよい例を思い出す。その流電池が、二日間も埋められていたロンドンの若い一弁護士を生き返らせた事件であって、一八三一年に起り、その当時非常な評判となり、いたる所で人々の話題となったものである。
 患者エド
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