ステープルトン氏自身が言っていることのなかにあるのである。彼は、どんなときでもまったく無感覚になったことはない、――医師に死んだ[#「死んだ」に傍点]と言われた瞬間から病院の床の上に気絶して倒れた瞬間にいたるまで、ぼんやり、雑然とだが、自分の身に起ったことはみな知っていた、と言っている。彼が解剖室という場所に気づいたときに、その窮境にあって一所懸命に言おうとしたあの意味のわからなかった言葉というのは、「私は生きているのだ」という言葉であったのだ。
このような記録をたくさん並べたてるのはたやすいことであろう、――が私はいまそんなことはしまい、――早すぎる埋葬が実際に起るものだという事実を立証するような必要はべつにないからである。そのことの性質から言って、たいへん稀《まれ》にしか我々の力ではその早すぎる埋葬を見つけることができないことを考えるならば、それが我々に知られることなく頻繁に[#「頻繁に」に傍点]起るかもしれないということは認めないわけにはゆかない。実際、なんらかの目的で墓地がどれだけか掘り返されるときに、骸骨がこのいちばん恐ろしい疑惑を思いつかせるような姿勢で見出されないことはほとんどないのである。
この疑惑は恐ろしい、――がその運命となるともっと恐ろしい! 死ぬ前の埋葬ということほど、このうえもない肉体と精神との苦痛を思い出させるのにまったく適した事件が他にない[#「ない」に傍点]ということは、なんのためらいもなく断言してよかろう。肺臓の堪えがたい圧迫――湿った土の息づまるような臭気――体にぴったりとまつわりつく屍衣《きょうかたびら》――狭い棺のかたい抱擁――絶対の夜の暗黒――圧しかぶさる海のような沈黙――眼には見えないが触知することのできる征服者|蛆虫《うじむし》の出現――このようなことと、また頭上には空気や草があるという考え、我々の運命を知りさえしたら救ってくれるために飛んでくるであろうところの親しい友人たちの思い出、しかし彼らにどうしても[#「どうしても」に傍点]この運命を知らすことができぬ――我々の望みのない運命はほんとうに死んだ人間の運命と少しも異ならない、という意識、――このような考えは、まだ鼓動している心臓に、もっとも大胆な想像力でもひるむにちがいないような驚くべき耐えがたい恐怖を与えるであろう。我々は地上ではこんなにも苦しいことを知らない
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