の席にいた。そして主人の顔は、その三人が離れられない友人であった昔のように、二人を代る代る眺めていたのであった。ところが十二日と、そしてまた十四日に、弁護士は玄関ばらいを食わされた。「博士はお引きこもりでございまして、どなたにもお会いになりません、」とプールが言った。十五日に彼はまた訪ねてみたが、また断わられた。彼はここ二カ月間というもの、殆ど毎日のようにその友人に会いつけていたので、博士がこのように孤独の生活へ返ったことは、ひどく気になった。五日目の晩に彼はゲストを招いて一しょに食事をし、六日目の晩には、ラニョン博士のところへ出かけた。
 そこではどうやら面会を拒絶されはしなかった。が、入ってみると、博士の様子が変っているのにぎょっとした。彼の顔には死の宣告がはっきりと書いてあった。あの赤らんだ顔をした元気そうな男が蒼白くなっていた。肉は落ち、目に見えて前よりは頭が禿げ年をとっていた。しかしながら、弁護士の注意をひいたのは、急激な肉体的衰弱のそういう徴候よりも、むしろ、何か心の深い恐怖を示しているらしい眼付きや挙動であった。博士が死を怖れるということはありそうではなかった。しかしアッタスンにはそうではなかろうかと思われてならなかった。「そうだ、この男は医者だから、自分の容態や、自分の余命が幾らもないことを知っているに違いない。そしてそれを知っていることが彼には堪えられないのだ、」と彼は考えた。しかし、アッタスンが彼の顔色の悪いことを言ったとき、ラニョンは自分はもうやがて命のない人間だと非常にしっかりした態度で断言した。
「僕はひどいショックを受けたのだ、」と彼が言った。「そしてとても回復できないだろう。もうあと何週間かという問題だ。考えてみると、人生は楽しかった。僕は人生が好きだった。そうだよ、君、いつも人生が好きだった。だが、我々がすべてを知り尽したなら、死んでしまいたくなるだろう、と時々は思うことがあるよ。」
「ジーキルも病気なんだ、」とアッタスンが言った。「君はあれから会ったかね?」
 ラニョンの顔付きは変った。そして彼は震える片手を上げた。「僕はジーキル博士にはもう会いたくもないしあの男のことを聞きたくもない、」と彼は大きなきっぱりしない声で言った。「あの男とはすっかり縁を切ったのだ。だから、僕が死んだものと思っている人間のことはどうか一切言わないで貰いたい。」
「困ったな、」とアッタスンが言った。それからかなり黙っていて から、「僕に何かできないかね?」と尋ねた。「我々三人はずいぶん古くからの友達だよ、ラニョン。もう生きている間にほかにこんな友達は出来ないだろう。」
「どうにもできないのだ、」とラニョンが答えた。「あの男自身に訊いてくれ給え。」
「あの男は会おうとしないのだ、」と弁護士が言った。
「それは不思議じゃないよ、」という返事だった。「僕が死んだ後、いつかはね、アッタスン、君はあるいはこのことの是非を知るようになるかもしれない。今は話す訳にはゆかないのだ。で、それはそうとして、もし君がそこに腰掛けてほかのことを僕と話すことができるなら、どうかゆっくりしていってくれ給え。しかし、もしその厭な話題に触れずにおくことができないなら、後生だから帰ってくれ給え。僕はそれには我慢ができないのだから。」
 家に帰るとすぐ、アッタスンは腰を下ろしてジーキルに手紙を書き、自分を家に入れぬことに苦情を言い、ラニョンとのこの不幸な絶交の原因を尋ねてやった。すると翌日長い返事がきたが、それにはときどき非常に悲痛な言葉が並べられ、ところどころ意味がはっきりしないところもあった。ラニョンとの仲違いはどうにもできないものであった。「彼は我々の旧友を責めはしない、」とジーキルは書いていた。「しかし二人が二度と会ってはならぬという彼の意見には同感だ。私はこれからは極端な隠遁生活を送るつもりだ。もし私の家の扉が君に対してさえちょいちょい閉ざされることがあっても、君は驚いてはならないし、また私の友情を疑ってもならない。君は私に私自身の暗い路を行かせなければならない。私は何とも言いようのない懲罰と危険とを身に負うている。もし私が罪人《つみびと》の首《かしら》であるならば、私はまた苦しむ者の首《かしら》でもあるのだ。この世がこんなに恐ろしい苦悩と恐怖とを容れる余地があるとは考えられなかった。この運命を軽減するためには、アッタスンよ、君はただ一つの事しかなし得ない。それは私の沈黙を尊重してくれることなのだ。」アッタスンはびっくりした。ハイドの暗い影が取りのけられて、博士はもとの仕事と親交とに立ち帰っていたのだ。ほんの一週間前には、ゆくすえは楽しい名誉ある老年を迎えることのできそうな、あらゆる望みで微笑していたのであった。ところが今は忽ちのうちに、友情
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