ますまい。留守ですから、」とハイド氏は鍵の孔の塵をぷっと吹きながら答えた。それから今度は突然、しかし、やはり顔を上げずに、「どうしてわたしをご存じでしたか?」と尋ねた。
「あなたに、」とアッタスン氏が言った。「お願いがあるんですが?」
「どうぞ、」と相手は答えた。「どんなことです?」
「あなたのお顔を見せて頂けませんか?」と弁護士が尋ねた。
 ハイド氏はためらっているようであった。が、やがて、何か急に思いついたように、挑みかかるような様子で向きなおった。そして二人は数秒の間じっと互いに睨み合った。「もうこれでまたお目にかかってもわかるでしょう、」とアッタスン氏が言った。「こうしておけば何かの役に立つかも知れません。」
「そうです、」とハイド氏が答えた。「我々はお会いしてよかった。それから、ついでに、わたしの住所も知っておかれたらよいでしょう。」そうして彼はソホーのある街の番地を知らせた。
「おや!」とアッタスン氏は心の中で考えた、「この男もあの遺言書のことを考えていたのか知らん?」しかし彼は自分の気持を外へださずに、ただその住所がわかったという返事に低い声を出しただけだった。
「で、今度は、」と相手が言った。「どうしてあなたはわたしをご存じだったのです?」
「これこれこういう人だと聞いていたから、」という答えだった。
「誰から?」
「わたしたちには共通の友人がある、」とアッタスン氏が言った。
「共通の友人!」と少し嗄れ声でハイド氏がきき返した。「それは誰です?」
「例えば、ジーキル、」と弁護士が答えた。
「あの男がそんなことを言ったことなんかないですよ、」とハイド氏はかっと怒って叫んだ。「君が嘘をつこうとは思わなかった。」
「まあまあ、」とアッタスン氏が言った、「それはおだやかな言い方ではないね。」
 相手は大きく唸ったが、それが獰猛な笑いになった。そして次の瞬間には、驚くべき速さで、戸口の錠をはずして、家の中へ姿を消してしまった。
 弁護士は、ハイド氏にとり残されると、不安の化身のように、しばらく突っ立っていた。それからのろのろと街をのぼり始めたが[#「始めたが」は底本では「殆めたが」]、一二歩ごとに立ちどまり、途方に暮れている人のように額に手をあてた。彼が歩きながらこんなに考え込んでいる問題は、難題の部類に入る問題だった。ハイド氏は色が蒼くて小男だったし、どこと
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