まみれた顔をして、力のないよろよろした足どりで私の方へすすんで来た。
 そんなふうに見えた。が、そうではなかった。それは私の敵手であった、――それは断末魔の苦悶《くもん》をしながらそのとき私の前に立ったウィルスンであった。彼の仮面と外套とは床の上に、彼の投げ棄《す》てたところに、落ちていた。彼の衣服中の糸一本も――彼の顔のあらゆる特徴のある奇妙な容貌《ようぼう》のなかの線一つも、まったくそのままそっくり、私自身のもの[#「私自身のもの」に傍点]でないものはなかった!
 それはウィルスンであった。けれども彼はもうささやきでしゃべりはしなかった。そして私は、彼が次のように言っているあいだ、自分がしゃべっているのだと思うことができたくらいであった。――
「お前は勝ったのだ[#「お前は勝ったのだ」に傍点]。己は降参する[#「己は降参する」に傍点]。だが[#「だが」に傍点]、これからさきは[#「これからさきは」に傍点]、お前も死んだのだ[#「お前も死んだのだ」に傍点]、――この世にたいして[#「この世にたいして」に傍点]、天国にたいして[#「天国にたいして」に傍点]、また希望にたいして死んだんだぞ[#「また希望にたいして死んだんだぞ」に傍点]! 己のなかにお前は生きていたのだ[#「己のなかにお前は生きていたのだ」に傍点]。――そして[#「そして」に傍点]、己の死で[#「己の死で」に傍点]、お前がどんなにまったく自分を殺してしまったかということを[#「お前がどんなにまったく自分を殺してしまったかということを」に傍点]、お前自身のものであるこの姿でよく見ろ[#「お前自身のものであるこの姿でよく見ろ」に傍点]」


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(1)William Chamberlayne(一六一九−七九)――イギリスの詩人、劇作家。
(2)Elah−Gabalus(二〇五−二二二)――本名 Varius Avitus Bassianus. ローマの皇帝。その放埒《ほうらつ》な乱行をもって知られている。
(3)the dim valley――旧約聖書詩篇第二十三篇第四節に出ている「死のかげの谷」のこと。
(4)leading−strings――歩き初めの子供につかまらせて歩き慣らせる紐《ひも》。
(5)ferule――学校で、懲罰として児童を、とくにその掌《てのひら》を、打つためにつくられた木の箆《へら》。
(6)「強い厳しい刑罰」という意味のフランス語であるが、昔、普通の審問に答弁しない罪人に科したものであって、罪人を俯伏《うつぶ》せに臥《ふ》させてその上に重いものを載せ、白状しなければ死ぬまでそうしておいたという残酷な刑罰である。
(7)ポーの生年月日は今日では一八〇九[#「〇九」に傍点]年一月十九日であることが確かめられているが、作者自身は自己の誕生日を一八一一[#「一一」に傍点]年とした手記をグリズウォルドに与え、のちにさらに一八一三[#「一三」に傍点]年としたのである。なお、この物語の初めの追憶的の部分が作者の幼時に学んだイギリスのストーク・ニューイントンのブランスビイ博士の学校のことなどを描いたものであることは有名であるが、全編を「半自伝的」の作と考えるのは当を得たものではない。
(8)これはもちろん、ブランスビイ博士の学校寝室などと違って、学生の寄宿舎は学校の本館とは別の棟になっていて、一つ一つの室《へや》に小さな玄関の間がついているからである。
(9)Herodes Atticus(一〇四ころ−一八〇ころ)――本名 Tiberius Claudius. ギリシャのアテネの市民であった富豪。修辞学者であったが、その著作は今日残っていない。彼の祖父の領地は反逆のために没収されたが、その後彼の父の家で莫大《ばくだい》な額の金が発見され、それを所有することを時の皇帝に許されてたちまちにして大財産家となり、彼の結婚によってもますますその富が増したという。彼はその私財をもって方々に劇場や音楽堂を建てたり、競技場や競走路をつくったり水道や温浴場をこさえたり、ギリシャ各地の滅びた都市を復旧再興させたり、実にさまざまの驚くべき大規模な公益事業をしているが、もってその富のいかに巨大であったかが察せられる。
(10[#「10」は縦中横])〔e'carte'〕――三十二枚の札で二人だけでやる骨牌戯《かるたあそび》。
(11[#「11」は縦中横])〔arronde'es〕――正しくはフランス語で arrondies と書き(もっとも英語化されて arondie, arondy などとも書かれるようである)、「円くされた」、「円い」という意味(邦語では「マル札」とでも訳すべきか)。すぐあとに本文で説明されているように、札の縁が少し円味を帯び
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