らくもっと危険な誘惑物なども欠けてはいなかった。というわけだったから、私たちの有頂天の乱痴気騒ぎがその絶頂に達しているうちに、東の方ははやかすかにほんのりと白みかかっていたのだった。骨牌《かるた》と酩酊《めいてい》とのために狂ったように興奮して、私がまさにいつも以上の不埒《ふらち》な言葉を吐いて乾杯を強《し》いようとしていたちょうどこのとき、とつぜん自分の注意は、部屋の扉が少しではあるがはげしく開かれて、外から一人の小使がせかせかした声で呼んでいるのに、逸《そ》らされた。彼は、誰か急用のあるらしい人が、玄関のところで私に会って話したいと言っている、と告げた。
ひどく酒に酔っぱらっていたので、この思いがけない邪魔が入ったことは、私を驚かせるよりもむしろ喜ばせた。すぐさま私は前へよろめいてゆき、五、六歩歩くとその建物の玄関へ出た(8)。その低い小さな室《へや》にはランプは一つもかかっていないので、そのときは、一つの半円形の窓から射《さ》しこんでくるごくかすかな暁の光のほかには、光はぜんぜん入っていなかった。その室の閾《しきい》をまたいだとき、私は自分と同じくらいの背の高さで、自分がそのとき着ていたもののように最新流行型に仕立てた白いカシミヤのモーニング・フロックを着た、一人の青年の姿に気がついた。それだけのことは、そのかすかな光で認められた。が、彼の顔の目鼻だちは見分けることができなかった。私が入ってゆくと、その男は急いで私の方へずかずかと歩みよって、怒りっぽいじれったそうな身ぶりで私の腕をつかみながら、私の耳もとで「ウィリアム・ウィルスン!」とささやいた。
私はたちまち、すっかり酔いがさめてしまった。
その見知らぬ男の態度には、また光と私の眼とのあいだに揚げた彼の指のぶるぶる震えていたことには、私にまったくの驚愕《きょうがく》の念を感じさせるものがあった。が、私をそれほどはげしく感動させたのは、そのことではなかった。それは、奇妙な、低い、叱《しか》るような声の厳かな警告の意味ふかさであった。また、とりわけ、過ぎし日の多くの群がりよる記憶を呼び起し、私の魂に電流に触れたような衝撃を与えた、あの短い、単純な、よく聞きなれた、しかもささやくような[#「ささやくような」に傍点]声の性質、音色、調子[#「調子」に傍点]であったのだ。私がやっと感覚の働きを回復したときには、
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