した非常に病的な想像力が、すべてのものの上に硫黄のような光を投げていた。彼の即興の長い挽歌《ばんか》は、永久に私の耳のなかに鳴りひびくであろう。その他のものでは、フォン・ウェーベルの最後のワルツのあの奔放な旋律を奇妙に変えて複雑にしたものが、痛ましく心に残っている。彼の精緻《せいち》な空想がこもり、また一筆ごとにおぼろげなものとなった、なぜとも知らず身ぶるいするために、なおさらぞっとするような画――それらの画(それはいまなお、ありありと眼の前に浮ぶが)から、ただ文字で書きあらわしえられるものをひき出そうとしても、ほんの一部分しかえられないであろう。完全な単純さによって、着想のあからさまなことによって、彼は人の注意をひき、これを威圧した。もし観念を画で描いた人があるとすれば、ロデリック・アッシャーこそまさにその人であった。少なくとも私には――そのときの私の周囲の事情にあっては――この憂鬱症患者が彼の画布《カンヴァス》の上にあらわそうとした純粋な抽象的観念からは、あのフュウゼリのたしかに灼熱《しゃくねつ》的ではあるがあまりに具象的な幻想を見つめてさえ、その影すら感じなかったほどの、強烈な堪
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