やって来やしないだろうか? 僕の早まった仕業を責めに急いで来るのではないか? 階段を上がる彼女の足音が僕には聞えていないのか? 彼女の心臓の重苦しい恐ろしい動悸《どうき》がわかってはいないのか? 気違いめ!」――こう言うと彼ははげしく跳び上がった。そして死にそうなくらいの努力で一語一語をしぼり出した。――「気違いめ[#「気違いめ」に傍点]! 彼女はいまその扉の外に立っているのだぞ[#「彼女はいまその扉の外に立っているのだぞ」に傍点]」
 彼の言葉の超人間的な力にまるで呪文《じゅもん》の力でもひそんでいたかのように――彼の差したその大きい古風な扉の鏡板は、たちまち、その重々しい黒檀《こくたん》の口をゆっくりうしろの方へと開いた。それは吹きこむ疾風の仕業だった、――がそのとき扉のそとにはまさしく[#「まさしく」に傍点]、背の高い、屍衣《きょうかたびら》を着た、アッシャー家のマデリン嬢の姿が立っていたのである。彼女の白い着物には血がついていて、その痩《や》せおとろえた体じゅうには、はげしくもがいたあとがあった。しばらくのあいだは、彼女は閾《しきい》のところでぶるぶる震えながら、あちこちとよろめいていた。――それから、低い呻《うめ》き声をあげて、部屋のなかの方へと彼女の兄の体にばったりと倒れかかり、はげしい断末魔の苦悶《くもん》のなかに彼をも床の上へ押し倒し、彼は死体となって横たわり、前もって彼の予想していた恐怖の犠牲となったのであった。
 その部屋から、またその屋敷から、私は恐ろしさで夢中になって逃げ出した。古い土手道を走っているのに気がついたときには、嵐はなおも怒りくるって吹きすさんでいた。とつぜん、道に沿うてぱっと異様な光がさした。私の背後にはただ大きな家とその影とがあるだけであったから、そのようなただならぬ光がどこから来るのかを見ようと思って私は振りかえってみた。その輝きは、沈みゆく、血のように赤い、満月の光であった。月はいま、その建物の屋根から電光形に土台までのびていると前に言った、以前はほとんど眼につかぬくらいだったあの亀裂《きれつ》をとおして、ぎらぎらと輝いているのであった。じっと見ているうちに、この亀裂は急速に広くなった。――一陣の旋風がすさまじく吹いてきた。――月の全輪がこつぜんとして私の眼前にあらわれた。――巨大な壁が真っ二つに崩れ落ちるのを見たとき、私
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