同時に、あててみたまえ」
 私はやってみたが駄目だった。
「それではまだほんとに試したんじゃないかもしれないな」と彼は言った。「この紙は平面になってひろがっている。が人間の咽喉は円筒形だ。ここに咽喉くらいの太さの棒切れがある。その図をこいつに巻いて、もう一度やってみたまえ」
 私は言われたとおりにやってみた。ができないことは前よりもいっそうはっきりした。「こりゃあ人間の指の痕じゃないよ」と私は言った。
「じゃあ今度は」とデュパンが答えた。「キュヴィエのこの章を読んでみたまえ」
 それは東インド諸島に棲《す》む黄褐色の大猩々《おおしょうじょう》を解剖学的に、叙述的に、詳しく書いた記事であった。この動物の巨大な身長や、非常な膂力《りょりょく》と活動力や、凶猛な残忍性や、模倣性などは、すべての人によく知られているところである。私はあの殺人が凄惨を極めているわけをすぐに悟った。
「指について書いてあることは」と、私は読み終えると言った。「この図とぴったり一致しているね。なるほど、ここに書いてある種の猩々でなければ、君の描いたような痕はつけられまい。この朽葉色の髪の毛の束も、キュヴィエの書いている獣のと同じ性質のものだ。しかし、僕にはとてもこの恐ろしい怪事件の細かいところはわからないね。そのうえ、争っていたような声が二つ[#「二つ」に傍点]聞えて、一つはたしかにフランス人の声だったと言うんだからねえ」
「そうさ。それから君は、この声について証言がほとんどみんな一致してあげている言葉――あの『|こらッ《モン・ディユ》!』という言葉を覚えているだろう。証人の一人(菓子製造人のモンターニ)がこれをたしなめる、または諫《いさ》める言葉だと言っているが、それはこの場合もっともなんだ。そこで、僕は謎を完全に解く自分の見込みを、この二つの言葉の上に主として立てているんだよ。一人のフランス人がこの殺人を知っていたのだ。彼はその凶行には少しも加わっていないということはありうる。――いやおそらくたしかにそうだろう。猩々はその男のところから逃げたのかもしれない。彼はそのあとを追ってあの部屋のところへまで行ったのかもしれない。が、その後のあの騒ぎのために、とうとう捕えることができなかったのだ。猩々はまだつかまらないでいるのだ。こういう推測――それ以上のものだという権利は僕にはないからね――を僕はこのうえつづけないことにする。なぜなら、この推測の基礎になっているぼんやりした考察は、僕自身の理知で認めることのできるほどの深さを持ってはいないのだし、また、それを他人に理解させようなんて、できることとは思えないからね。だから、それをただ推測と見なして、推測として話すことにしよう。もし、そのフランス人が僕の想像どおり実際この凶行に関係がないとするなら、昨晩、僕が帰りに『ル・モンド』(これは海運業専門の新聞で、水夫たちのよく読むものだ)社へ頼んでおいたこの広告を見て、その男はきっとこの家へやって来るだろうよ」
 彼は私に一枚の新聞を渡した。それには次のように書いてあった。

[#ここから1字下げ]
「捕獲。――ボルネオ種のたいそう大きい黄褐色の猩々一匹。本月――日早朝〔殺人事件のあった朝〕、ボア・ド・ブローニュにて。所有者(マルタ島船舶の船員なりと判明した)は、自己の所有なることを十分に証明し、その捕獲および保管に要した若干の費用を支払われるならば、その動物を受け取ることができる。郭外《フォーブール》サン・ジェルマン――街――番地四階へ来訪されたし」
[#ここで字下げ終わり]

「どうしてその男が船員で、マルタ島船舶の乗組員だということが、君にわかったかね?」と私は尋ねた。
「僕にはわかっていない[#「いない」に傍点]のだ」とデュパンが言った。「僕もたしかには[#「たしかには」に傍点]知らないのさ。が、ここにリボンのきれっぱしがある。この形や、脂じみているところなどから見ると、明らかにあの水夫たちの好んでやる長い辮髪《べんぱつ》を結わえるのに使っていたものだよ。そのうえ、この結び方は船乗り以外の者にはめったに結わえないものだし、またマルタ人独得のものなんだ。僕はこのリボンを避雷針の下で拾ったんだ。被害者のどちらかのものであるはずはない。ところで、もしこのリボンから僕がそのフランス人をマルタ島船舶の乗組員だと推理したことがまちがっているとしてもだ、広告にああ書いても少しも差支えはないよ。もしまちがっているなら、彼はただ僕が何かの事情で考え違いをしたのだと思って、それについて詮議《せんぎ》したりなどしないだろう。ところが、もしそれが当っているなら、大きな利益が得られるというものだ。そのフランス人は、殺人には無関係だが、それを知っているので、当然、その広告に応ずることを――猩々
前へ 次へ
全19ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 直次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング