ていると、隣りの人達が帰って来た。「ああ、弱ったね。今日は!」と室に入るとまず重荷をおろしたと言った調子で一人が言った。例の紋付だ。
「いや、実に君の手腕には敬服した。実に君は外交家だ。」と一人が感嘆した。
「なに、ああやらねばいけないんだ。女の集まったところでは、一方ではああやって煽動《おだて》て置いてね、承知してもしなくっても、話をずんずん進めて行かないと、ことはまとまらないからね。‥‥だけれど君、うまく行った。郡長の夫人はさすがよく分ってる。そりゃ経験のある人の言うようにしなければって、さすがだね、あれは分ってるよ。」
 一人の方はただうなずいている様子だ。
「ああ良く行ったね。これも全く君、郡長の夫人の盡力だよ。それでね、君は明日はね、昨日うつして置いた名簿を持って行って、会員のところを訪問するんだ。するとね、君、大抵の家では主人が留守だからと言ってことわるからね。行くと、誰か出てくるね、その時にすぐ郡長の夫人から参りましたがと、やってしまうんだ。そうすれば誰でも郡長の夫人だからすぐ逢うからね。その時にこれこれだと言い出すんだ。すればきっと一枚や二枚はいやだと言えないじゃないか。」
「成程!」と、一人が深く感じたように小声で言った。
「女ってものは君、名誉心が強いね。今日で見たまえ。あの若い細君が、小学校の先生が発起人に名を出すなら、私のも出せと言ったじゃないか。あれだからこんどでも、すぐまとまったのだ。」
「それで」と急に言葉を改めて、「明日は切符を印刷しなければ、白と青と、赤と、……君、ここでは(と声を低くした)まだ音楽会などをしたことはないと見えるね。入場券を五十銭、二十銭と言ったら皆で反対したではないか。十五銭、十銭、五銭にするなんて……」
 その時に膳を運んで来たと見えて、話は止んだ。私は例の紋付の赭《あか》い面《つら》を思い浮べた。

 夜、私は室で野口君や、その友人のくるのを待って[#「待って」は底本では「持って」]いた。
 食事がすむと、隣りではまた話がはじまった。のびのびした調子で互いに生国や、若い時分の――二人とも四十三とか五と言っていた。――ことを話し出した。一人の男は信州で生まれて東京で育ったといっていた。
「僕も長く東京にいた。」と伊勢の男は自慢らしく言った。
 そのうちに、私の室には三人の客が来た。みな野口君や私と同年ぐらいの人だ
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