怨霊という様なものが残るので、それにその人自身の全勢力が集注《しゅうちゅう》して、或《ある》場合に於《おい》て、必ずこの世に現れるものだといっていたが、この事は或《ある》程度に於て、信じられそうな説だと思う。元来僧侶というものは、こんな事を平気で、談《はな》すので、或《ある》僧の談《はなし》によると、所謂《いわゆる》寺の亡者が知らせに来る場合には、必ずその人の生前の性質が現れる、例えば気の荒い人だったらば、鉦《かね》の叩き様《よう》が頗《すこぶ》る荒っぽいそうだし、温和な人ならば、至極《しごく》静かに知らせるといっていたが、それは兎《と》に角《かく》何《いず》れの僧侶に訊ねても、この寺へ知らせに来るというのは、真実のものらしい。要するに、是等《これら》のことは、凡《すべ》てまだその人が活きている時の、精神的感応であるから、決して怪談ではなかろうというのである。
 議論は兎《と》に角《かく》として、私もこの方向には、頗《すこぶ》る興味を持っている。否《いな》近頃では、それ以上で、実は熱心に一つ研究をしてみようかと考えているくらいだ。しかし幸か不幸か、まだ自分には、まるで実見《じっけん》がないが、色々他人から聴いたのを、少し談《はな》してみよう。
 東北《とうほく》地方は一躰《いったい》は関西《かんさい》地方や四国《しこく》九州《きゅうしゅう》の辺と異《ちが》って、何だか薄暗い、如何《いか》にも幽霊が出そうな地方だが、私がこの夏行った、陸中国遠野郷《りくちゅうのくにとおのごう》の近辺《あたり》も、一般に昔からの伝説などが多くあるところだ。此処《ここ》で聞いた談《はなし》に、或《ある》時その近在のさる豪家《ごうか》の娘が病気で、最早《もう》危篤という時に、その家《や》の若者が、其処《そこ》から十町|許《ばかり》もある遠野町へ薬を買いに行った、時はもう夜の九時頃のことで、月が朧《おぼろ》の晩であった。若者も大急ぎに町へ出て、その薬を求めて、主家《しゅか》の方へ戻って来る途中、其処《そこ》は山の裾《すそ》を廻る道なので右の方が松林で、左が田畝《たんぼ》になっているのであるが、彼はその途《みち》を一人急いで、娘のことなど考えながらやって来ると、突然|行手《ゆくて》の林の中にある岩の上に白いものが見える。「おや何かしらん」と怪《あやし》みつつ漸々《ようよう》にその傍《わき》へ近付
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