ち、あたりはお暗くなりそめた。泥濘が足をすう。
 くらい中を大声あげてくる男の群五、六人、何者ぞとすれちがうおり、かれこれ互に見やれば、肩には白いもの、何匹かの兎が闇に浮ぶ。猟師だったのだ。漢詩のようなと私は思った。案内は、さっきから頻《しき》りに腹がへったと訴える、まだ食物店のある所へは出ないのだ。暇をくれというのを、暗くっておあしもあげられないよと、すかしすかし氷砂糖などやって、県道との追分までつれてきた。七時、そこで分れて、闇の中を、ぴしゃぴしゃ西条へ。
 長野へゆく汽車はあれどもおそくなる。まあ泊ろうと、前の宿屋に草鞋をぬいだ。西石川の贅沢《ぜいたく》は望むでなけれど、夜の物などの浅ましさ、湯も立たぬ。

    信越線を

 昨夜もすこし雪が降ったのだ。凍れる朝を長野にいって、Kを驚かし、やまやという感心もせぬ旅宿に昼餐《ちゅうさん》したため、白馬山におくられ、犀川よぎり、小諸《こもろ》のあたり浅間《あさま》山を飽《あ》かず眺め、八ヶ岳、立科《たてしな》山をそれよと指し、落葉松《からまつ》の赤きに興じ、碓氷《うすい》もこゆれば、曾遊《そうゆう》の榛名《はるな》、赤城《あかぎ》の山々は、夕の空に褪赭《たいしゃ》色ににじんでいた。

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武石峠へゆこうという心を起させたのは中村清太郎氏の画、途を中央線にさせたのは小島烏水氏の文のおかげです。ここでお礼を申しあげておきとうございます。
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底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年11月14日第1刷発行
   2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「山岳 十の一」
   1915(大正4)年9月
初出:「山岳 十の一」
   1915(大正4)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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