いふのは、僭越でもあらう。然し読書人は得て力負けがする。
私などわかつてゐる積りで、物をいつたり、書いたりする。そして飛んでもない間違を時にする。更に田舎の人は、読書人の問に対して、それに捲きこまれるのか、尋ねる人の思ふやうな答をする。そして本当の事は知られずにゐる。私どもの思つてゐるより世界は広い。石をささげる宗教が深いか、どうかは別として(創世記二八の一八、九)、さうした宗教性は遍く私どもの中に存してをる。ただそれと私どもは覚らない。何かにつけて、ふと不審を立てても、それを他の事のやうに解釈してしまふ。しかしお祝ひか、お葬ひかの時の外には、宗教をわきに退けておく人でも、時には、はつとする事があらう。さる刹那の念を生かすか、殺すかで、その人の踏みゆく道の色が更つてくる。
どうせ人は己の好む所に偏するであらう。然し宗教性も人の心の中を流るる潜流である。それを塞ぎきれるものでもない。湧き出づる泉を、私どもは相当に認めたい。道を求むる人は、日常の生活に真を観んとする。
底本:「日本の名随筆88 石」作品社
1990(平成2)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「石を積む」警醒社
1931(昭和6)年9月発行
入力:渡邉つよし
校正:門田裕志
2002年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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