意味する。この上手というのは、正当な利益をもたらすすべて[#「すべて」に傍点]のつぼ[#「つぼ」に傍点]を、それぞれちゃんと知り抜いているといった、技《わざ》の完全な精通を意味するのである。これらのつぼ[#「つぼ」に傍点]は多種多様で、しかも多くの場合、普通の理解力ではぜんぜん近づきがたい思考の奥深くに隠れているのだ。注意深く観察するということは明瞭に記憶することであって、そこまでなら集中力の優れたチェスの棋客もホイストを十分うまくやるだろうし、またホイルの法則だって(それがゲームの単なるメカニズムに基づいたものである以上)誰にでも十分に理解できるものなのだ。だから、よい記憶で、「方式」どおりにやるということが、うまく勝負をする秘訣《ひけつ》だと一般に考えられている点である。ところが、分析家の腕の見せどころは、単なる法則の限界を越えたところにあるのだ。彼は黙っていながら多くの観察や推理をする。また、たぶん彼の仲間もそうする。それで、そうして得られた知識の範囲の違いは、推理の正しさよりも観察の質にあるのだ。必要な知識は、なに[#「なに」に傍点]を観察すべきかを知ることなのである。わが分
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