れた長い多くの祖《オヤ》たちの生活の連続が考へられねばならぬ。其はもつと神に近い感情発表の形式をもつてゐた時代である。今日お慈悲の牢獄に押籠められた神々は、神性を拡張する復活の喜びを失うて了はれたのである。
神の在処《アリカ》と思はれる物が、神其物と考へられるのは珍らしいことではない。其物が小さければ小さい程、神性の充実したものと信ぜられて来るのは当然である。依代は固より、神性が神と考へられゝばこそ、舟・※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]・臼(横・挽)、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]のかむいせと[#「かむいせと」に傍線]が御神体として祀られる訣である。
まづ、供物を容れる器の観察から導いて来ねばならぬ。折敷《ヲシキ》と行器とのくつゝいたやうな三方の類は大して古いものではなく、木葉や土の器に盛つて献らねばならぬ程の細かな物の外は、正式には、籠を用ゐたものでは無からうか。延喜式・神道五部書などに見えた輿籠《コシコ》(又は輦籠《コシコ》)は、疑ひもなく供へ物を盛つた器で、脚或は口を以て数へられる処から見ると、台の助けを俟たずに、ぢかに[#「ぢかに」に傍点]据《ス》ゑることの出来るもので、而も甕《ミカ》・壺《ツボ》の様に蓋はなく、上に口をあいてゐたものと思はれる。
処が又、こゝに毛色の変つた一類の籠がある。其は火袁理《ホヲリ》[#(ノ)]命の目無堅間《マナシカタマ》・熊野大神の八目荒籠《ヤツメノアラコ》・秋山下冰壮夫《アキヤマノシタビヲトコ》の形代《カタシロ》を容れたといふ川島のいくみ竹の荒籠などぼつ/\[#「ぼつ/\」に傍点]見えてゐるのが其で、どうやら供物容れが神の在処であつたことを暗示してゐる様である。増穂残口《マスホザンコウ》などを驚かした、熊野の水葬礼に沈めた容れ物は、実は竹籠であつたのであらう。かうした場合に、流失を防ぐのに一番便利な籠は、口の締め括りの出来る髯籠であつた筈である。死人を装うて、鰐対治に入つて行かれた大神の乗物が、長く熊野に残つてゐたことは、物忘れせぬ田舎人の心を尊まずにはゐられない。
籠がほゞ神の在処なることが確かであり、同時に供物の容れ物となつてゐたことが、幸に誤でなければ、直ちに其に盛られた犠牲は供物である以前に、神格を以て考へられたことに、結着させてもよからうと思ふ。百取《モヽト》りの机代物《ツクヱシロモノ》を置
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