は、千塚《ちづか》の極尾《はつを》の神のあらはれて、われに貸しおきつる斎瓮《いはひべ》をかへせ、とせめしなりき。
夢さめて、われは、かの女は塚の神ならざりしかなど思ひて、暗き寝床の内に、ひたと乳母の身により添ひぬ。
明くる日、柿うりの女、入り来ぬ。
われも欲しければとて、門へ出でんとせしも、其女の声を聞きて、たちすくみぬ。
乳母は、幾度かわが名をよびつ。されど、われは、はなれ家にかくれて、いらへもせざりき。
やゝして柿売りのかへりし頃、母屋に来て、堆く、くづるゝばかりうみたる、赤く大いなるが盆に盛られたるを見し時、其は斎瓮の埴の赤珠にあらずや、とたづねて、
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若子は、ねおびれたりや。
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と嗤はれぬ。たとひ其時には、昨日の恐しかりしをも忘れて、貪り喰ひつれど。
されど、われは今もなほ、其斎瓮にあらざりしかを疑ふなり。
ふと心づけば、車は若江の邑の畷にかゝれり。
道のかたへなる石ぶみにぬかづきて、重成の霊に、十年ぶりの今日のあひ[#「あひ」に傍点]をよろこぶ。
また車に上る。恩智川の堤は、見え初めぬ。かのかげろひ立てる堤をこゆれば、わがめざしたれつつ、十年の月日を過しゝ、里親の家も見ゆるなるべし。山畠の機おり女は、今も、まさきくありや。
前路遠くして、わが行く道、なほ遥々《えうえう》たり。



底本:「日本の名随筆25 音」作品社
   1984(昭和59)年11月25日第1刷発行
   1999(平成11)年4月30日第17刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第三十巻」中央公論社
   1968(昭和43)年4月初版発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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