るが、折からの入日をうけて立ちたる。と見れば、その木の本に小家ありて、其内より機おり唄のきこえ来るならずや。
ひそ/\と忍びよりて障子の穴よりうかゞふに、さだすぎたる女の、頬にみだれかゝる髪かきもあげで、泣きてはうたひ、唄ひては泣き、何になくらむ、かなしげにうたへるなりき。
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様は遠州浜名の橋よ、いまはとだえて音もせぬ。
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さては此女、柿|主《ぬし》なりなと思ひつゝ、手ごろの石拾ひあつめ、柿の木にむかひてうちつくるに、二つ三つ四つ、がさ/\と音して、叢にまろび落ちたるを、袂におしいれて、立ち上らむとする時、「たそ」と咎むる声して、障子さとうち開き、見いだしたるは、かの女なりき。
一目見るより、われは背戸のふし垣ふみこえて、走り出でぬ。
後につゞく音するに、顧れば、さをなる顔にほつれ毛うちみだし、細き目に涙たゝへたる柿主の女の追ひ来しなりき。
われは立ちすくみぬ。
女は近よりて、やにはにわが手をぐと[#「ぐと」に傍点]把《と》りぬ。われは恐れと羞恥《ひとみしり》とに、泣かむとせしも、辛うじて涙かくしぬ。
握られたる手には、女のはげしき呼吸にうち震ふ肩のをのゝきの、伝ふならずや。
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若子、今うち落しゝ物、かへし給へ。
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こはき顔して見入るに、われは噤みぬ。
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かへし給はずや。
いな/\、われは柿はとらじを。
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と云ふに、女の肩いよゝをのゝき、把られたるわが手、亦、いたくふるひぬ。
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よし/\、かへし給はずば、明日にも若子が家人に告げん。
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と云ふに、捕へられたる手うちはらひて遁れんとする袂より、紅の珠二つ三つ、ころ/\と転び出でぬ。
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それ見給へ。
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と女は冷かに笑みて、わが顔を覗きこみぬ。われはえ堪へず、声あげて泣きぬ。
頬を伝ふ涙はらふ/\、逃げ下りつ。
裾曲を流るゝ里の小川の板橋に立ちて、ふりかへりぬ。
見上ぐれば、靄こめたる山畠の小家には、早や灯きらめきぬ。
かすかにきこゆるは筬うつ音。
家にかへれば、乳母は、わがかへりおそきを案じわびて、門にたゝずみ居たりき。
ありし事は、小さき胸一つに秘めて、其夜は早く寝床にまろび入りぬ。
其夜の夢
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