つと直観的・象徴風のもので満足が出来たものである。
一体、神の依代は、必しも無生物に限らず、人間を立てゝ依代《ヨリシロ》とする事がある。神に近い、清い生活をしてゐると考へられてゐる神子《ミコ》か、さなくば普通の童男・童女を以て神憑《カミヨ》りの役を勤めさせるので、此場合、これをよりまし[#「よりまし」に傍線]と称へてゐる。
多くは神意を問ふ場合に立てるので、唯、神を招き寄せる為には、無心の物質を以てしても差支へのない訣である。
祭礼に人形を作ることは、よりまし[#「よりまし」に傍線]を兼ねた依代なので、この意味が忘れられると、殆ど神格化せられた人間の像を立てる。神功皇后・武内宿禰・関羽・公時・清正・鎮西八郎などが飾られるのは此為である。

     四 だいがく[#「だいがく」に傍線]とひげこ[#「ひげこ」に傍線]と

さて、日の神の肖像としては、どういふものを立てるか。茲に私は、自分に最因縁深い木津のだいがく[#「だいがく」に傍線]についてお話しをしたい。
京の祇園の鉾を見たものは、形の類似から直ちに、其模倣だと信ずるかも知れぬが、だいがく[#「だいがく」に傍線]と同型のものゝ分布してゐる地方の広い点から見ると、決して五十年百年以来の模倣とは思はれない。先づ方一間、高さ一間位の木枠《キワク》を縦横に貫いて、緯棒《ヌキボウ》を組み合せ、其枠の真中の、上下に開いた穴に経棒《タテボウ》を立てる。柱の長さは電信柱の二倍はあらう。上にはほこ[#「ほこ」に傍線]と称へて、祇園会のものと同じく、赤地の袋で山形を作つた下に、ひげこ[#「ひげこ」に傍線]と言うて、径《サシワタシ》一丈あまりの車の輪の様な※[#「車+罔」、第3水準1−92−45]《オホワ》に、数多の竹の輻《ヤ》の放射したものに、天幕を一重或は二重にとりつけ、其陰に祇園巴《ギヲントモヱ》の紋のついた守り袋を垂《サ》げ、更に其下に三尺ほどづゝ間を隔てゝ、十数本の緯棒《ヌキボウ》を通し、赤・緑・紺・黄などゝけば/\しく彩つた無数の提燈を幾段にも懸け連ねる。夜に入ると、此に蝋燭を入れて、夜空に華かな曲線を漂し出すと、骨髄まで郷土の匂ひの沁み込んだ里の男女は、心も空に浮れ歩く。其柱の先には、前に述べただし[#「だし」に傍線]を挿すのである。
さて此ひげこ[#「ひげこ」に傍線]と称するものに注意を願ひたい。ひげこ[#「ひげこ」に
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