るだんじり[#「だんじり」に傍線]・だいがく[#「だいがく」に傍線]・だし[#「だし」に傍線]・ほこ[#「ほこ」に傍線]・やま[#「やま」に傍線]などは、みな標山の系統の飾りもので、神輿とは意味を異にしてゐる。町或は村毎に牽き出す祭りの飾りものが、皆|産土《ウブスナ》の社に集るにつけても、今日では途次の行列を人に示すのが第一になつて、鎮守の宮に行くのは、山車《ダシ》や地車《ダンジリ》を見せて、神慮をいさめ申す為だと考へてゐるが、此は意味の変遷をしたもので、固より標山《シメヤマ》の風を伝へたものに相違ない。
標山系統の練りもの類を通じて考へて見ると、天つ神は決して常住社殿の内に鎮座ましますものではなく、祭りの際には、一旦他所に降臨あつて、其処から御社へ入られるもので、還御の際にも、標山に乗つて再び天降りの庭に還つて、其処から天駆《アマガケ》り給ふのである。神社が神の常在地でない事は勿論、其処へ直ちに天降らせ給ふのでもない。大阪天満の天神祭りに船渡御があつて、御迎へ船が出ることなども、祭りの際に、神は他所に降つて、其処から祭場に臨むといふ暗示を含んでゐるのである。
祭礼には必|宵祭《ヨミヤ》を伴ふ風習は、地上に神の常在しない証拠である。渡御に一旦他所に降臨して、其処から祭場に臨まれる事を示すのである。宵祭《ヨミヤ》まつりの形式が仏家に移ると、盂蘭盆の迎へ火を焚く黄昏となる。高燈籠《タカトウロウ》・切籠燈籠《キリコトウロウ》の吊されるのも、精霊誘致の手段に外ならぬのである。かうして愈本祭りとなる。本祭りが済むと、神は高天原へ還られる。此日は、現在、祭りの上に存せない地方もあるので、其の名称の標準とすべきものはない。
三 祭礼の練りもの
祭礼《サイレイ》の練《ネ》りものには、車をつけて牽くものと、肩に載せて舁《カ》くものとの二通りあるが、一般に高く聳やかして、皆神々の注視を惹かうとするが、中には神輿《ミコシ》の形式を採り入れて、さまでに高く築きなすを主眼とせないものもある。地車《ダンジリ》の類は此である。一体、練りものゝ、土台から末まで柱を貫くのが当然なのに、今日往々柱のない高い練りものゝあるのを見る。練り屋台には、土地によつて様々の名称がある。ほこ[#「ほこ」に傍線]・やま[#「やま」に傍線]などの類は、柱を残してゐる。屋台・地車の類は、柱がない。山車には、
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