神館《カウダチ》と称してゐる。神の為の台盤所の義である。古代には、其人たちの侍する内廷の控へ所であつたのだらう。「め」は元より「べ」に通ずる集団人の義である。此中から、君の座床近く、夜昼祗候するものが、まちぎみ[#「まちぎみ」に傍線]・まへつぎみ[#「まへつぎみ」に傍線]である。まへつぎみ[#「まへつぎみ」に傍線]の中にも、旧豪族の人々の交る様になつてから、此を大まへつぎみ[#「大まへつぎみ」に傍線]と言ふ様になつた。おみ[#「おみ」に傍線]は、君から多少遠慮を持つた臣・従者への称へであり、大まへつ君[#「大まへつ君」に傍線]は、全然君の配下としての称である。
此等のおみ[#「おみ」に傍線]の家々又は、国々の神主国造の家々には、宮廷と似た伝承が行はれてゐた。さうして其小氏なる家々にも、配下たる村々の民の上にも、次第に宮廷の信仰生活が影響し、又混同を生じた。或地方では、禊ぎを主とするのに、ある国々では祓へを以ておなじ様な事件を解決した。其混乱は、吉事を待つ為の禊ぎを、凶事を贖《あがな》ひ棄てる方便の祓へと一つにして行ふ様になる。
祓へを行ふ地方で行《おこなは》れた、五月雨期の男女神人の禁欲生活が、雨障《アマツヽミ》又は、霖忌《ナガメイミ》であつた。其を、合理化したのが、大祓式であつた。村のをとこ[#「をとこ」に傍線]となるはずの――成年戒を受ける――人々の、田植以前の物忌みが、其であつた。其を、次第に向上させて、宮廷伝来の呪詞から出来たものと信じた。
天《アマ》つ罪《ツミ》は、田植ゑに臨む、村の仮装神人及び巫女――早処女《サヲトメ》――の、長期の物忌み生活から出た起原説明物語であつた。此等は、民人――殊に出雲人など――の生活の反映である。すさのをの[#「すさのをの」に傍線]命は田を荒す神であつた。さうして其が、祓への結果田を荒さぬ誓ひを立てた事を、出雲国造の国で行うたのである。其旧事が直に、地上の呪法となるのだ。村の田に出て来る神々の行ひは、だから、豪族の風を移した村々の神人の歌舞《アソビ》である。此時、此に接する巫女たちの挙動も亦、其写しに過ぎない。
私の話は、万葉集の内容の発生の輪廓と、万葉びとの生活の基礎となつた信仰生活とを完全に書きゝらずに了うた。だが、此論文に、若し多少の効果を予期する事が出来るなら、過去の研究は、過去の記述ばかりでは、完う出来ない。近代まで
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