線]媛・やまとたける[#「やまとたける」に傍線]の命の后王子らの歌・仁徳后の志都《シヅ》歌返歌・大春日皇后の歌など、皆夫君に奉る歌は、水の縁を離れない。殊にすせり[#「すせり」に傍線]媛のは、衣を解き放《サ》ける様を、志都歌返歌は、禊ぎの瀬を求める風を、最後のは、禊ぎと竹と楽器との関係を述べる古詞から出た事を見せてゐる。
万葉の皇族・貴族の相聞・挽歌にも、水の縁の深いのは、水を扱ふ貴族の婦人との唱和が、次第に、さうした発想法を生み出したものと言へよう。

       巫女としての女性

中天皇・斎宮其他、后妃からの女官に到るまですべて、巫女として宮廷の神及び神なる君に仕へてゐた。氏長・国造の家々にも亦、かうした巫女が充ちてゐた。此等の外にも、国々邑々の成女は、すべて巫女たる事が、唯一の資格であつた。だから宮廷に出入した女性たちの生活を、女房・女官などの後世風の考へ方で、単純に見てはならぬ。後宮の職員は、平安初期までも、巫女としての自覚は失はなかつたのだ。叙事詩・民謡に出て来た有名・無名の地方の万葉女も、やはりさうした観念を底に持つてゐた。この事実は、男性が創作詩に踏み入つた時代になつても、変らず見えてゐる。相聞は殊にさうだし、挽歌その他のものにも通じてゐる気分である。
物語歌に見えた真間のてこな[#「てこな」に傍線]・蘆《ノ》屋の海辺村《ウナヒ》処女其他は、前代以来の伝説上の人で、あの種の巫女の人の妻となる事を避けた信仰の印象であつた。村家の娘を訪れる新嘗の夜の情人を仮想した二首の東歌などもある。成女戒を受けた村女の、祭の夜に神を待つた習俗の民謡化したものだ。此夜の客が、神であつて所謂|一夜夫《ヒトヨヅマ》なるものであつた。歌垣・※[#「女+櫂のつくり」、第3水準1−15−93]歌会《カヾヒ》・新室の寿《ホカヒ》の唱和は、民間の歌謡の発達の常なる動力であつた。元は、男方は神として仮装し来り、女方は精霊の代表たる巫女の資格において、これに対抗し、これを迎へ、これに従うたのである。此が相聞歌の起りである事は述べた。
此かけあひ[#「かけあひ」に傍線]行事に、謡ひ勝たう、負かされじとする処から、「女歌」はとりわけ民間に伸びた。神と巫女との対立の本意を忘れた地方も、万葉人以前からあつた。かうした間に、類型が類型のまゝに次第に個性味を帯びて来た。又一方唱和問答の機智的技巧は
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