が日本の国家組織が、次第に進んで来ると、村々は大抵、日本の国家に合せられる。国家の支配下となつた村は存続するが、国家に反抗した村は潰れる。即、社会的の階段が破壊する。其故、かう言ふ文章を伝誦してゐた一種の職業者が、此職業を失つた。同時に一の国家のもとに支配される様になり、村々の交通が自由になつた為に放浪する人々が出来た。即、所謂《いはゆる》「乞食者《ホカヒビト》」と言ふ職業人が現れた。自分等の村々に語り伝へられた歌なり、物語をもつて、諸国を流浪して歩く宗教家が出来たのである。此は、神事の叙事詩を歌ひ唱へて歩くのだ。かうして叙事詩を語り伝へる人々は、語部と称せられた。
村々の語部・国々の語部は、其村なり国なりの頭になつて居る家の、歴史を語り伝へて居る者である。其は、日本の国家の最上である宮廷の語部である者もあり、村々の頭であつた人々の家に置かれて居る語部もあつた。此中のある者は、村や家の破壊するとゝもに、ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]となつて、呪言や物語を語つて歩いた。宮廷に於ては、国家の歴史として考へられたものを、曲節を附して語り伝へ、其を国なり宮廷なりの大事な儀式の場合に語つた。こゝでは、宮廷での事のみを述べておく。
長い叙事詩の中で世に遺り易いものは、人々の興味を惹く部分である。長い叙事詩の中、興味の極《ごく》濃厚な部分は、脱落して歌はれる様になつて来た。即、長い叙事詩の中で、英雄物語の部分や、唱和の歌の一部分をのみ歌ふ事が出来て来た。是を大歌《おほうた》と言ふ。
大歌として独立すると、是が愈《いよいよ》声楽としての価値を高めて来る。古事記・日本紀の事実は、昔から伝つて居る語部の物語から書きとつたものもあらうが、独立して大歌自身に伴うた伝説が、這入つて居ると見られるのもある。宮中の音楽が段々一種の職業として認められる様になると、大歌を謡ふ者が出来て来る。即、大歌謡ひである。宮廷の祭事などに叙事詩から出て来た大歌を歌ふ習慣が出来て来たのである。譬へば日本武尊が亡くなられた時、其后や皇子の作られたといふ歌が、時に歌はれる、と言ふ事実が現れて来る。
ところが世が複雑になり、人の感情が細かになると、現在以上の歌を要求して大歌を創作する様になつて、宮廷詩の行はれる機運が起つた。是は日本の古い書物を見ると、大体古い飛鳥の都、即、舒明天皇・皇極天皇の頃からはつきりと現れて来るやうである。其機運が熟して来た為に、柿本人麻呂の如き人が、出て来たものと思はれる。つまり作者自身が、其感情になつて、宮廷或は貴族の感情を想像して代作をするのである。
日本では、自分の欲求から歌を作ると言ふより前に、先づ代作の歌が行はれてゐる。即、古くは、自分の感情を歌として現はす必要はなかつたのである。団体とか、或る貴い人の感情を、下の臣が代つて謡うたのである。感情表現の歌と言ふよりも、昔から伝へられた形式一偏の物でよかつたのである。かうして居る間に、一方に於て有力なものが働きかけて、自分自身で歌を作る動機が、発生した。即、抒情詩を生み出す機運に向いて来たのである。だから万葉集に見えて居るものゝ中で、奈良朝以前の歌は、代作の歌が多いと思つてよい。万葉集を見ると、此傾向が、ひどく力強くあらはれて居る。其が、代作の時代から真の抒情詩を産み出した天才歌人人麻呂を、一時に飛躍させる原動力になつた。人麻呂の抒情詩は、今日見ると、代作と称して居ないものでも、代作的のものが多い。
純粋の抒情詩は、其本人の感情が鍛錬された奈良朝時代に入つてからである。即、鍛錬されたものは、一方から流れて貴族によつてとり入れられ、支那の詩・賦・散文によつて、日本人の文学上の感情が醇化せられて、新抒情詩が発生した。奈良朝の頂上になると、大伴旅人・山上憶良が、殊に有力に見える。此時代になると、旅人や、憶良や、それから其以外の有識階級の人々によつて作られた抒情詩が、沢山あつた。日本にほんとうの文学らしいものが出来たのは、聖武・孝謙天皇の頃である。
けれども代作したり、よそごとに言うて居る様な応用的の動きから出来た古い時代の歌でも、立派なものゝあるのは、決して否まれぬものである。文学は、動機や態度によらずして、其人の力によつてよい物が出来る事を、よく呑みこんでおく必要がある。
四
処が、宴歌も亦寿詞より出て来る。宴歌は、宴会、即神々を迎へて、饗応する時の歌が、最初である。神が歌つた寿詞を語るか、寿詞を語ると同時に其場の即興、即、寿詞の崩れを歌うたことが、万葉の中に、見えて居る。神に歌をうたふ。神が又、此に対してうたげの歌[#「うたげの歌」に傍線]をうたふ。此は多くの場合、新しい建物を造つて宴歌をうたふ事に始まる。即、新室を建てた時に、新室《ニヒムロ》ほかひ[#「ほかひ」に傍線]をする。此新室
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