ほかひ[#「新室ほかひ」に傍線]の他には、旅行すると、其宿る場所々々に家を建て、やはり新室ほかひ[#「新室ほかひ」に傍線]と称するものをする。此がたとひ、仮りの場所であつても、新室のうたげ[#「新室のうたげ」に傍線]をするのだ。其うたげ[#「うたげ」に傍線]が、時代が進むと共に、宮廷ならば、宮廷詩人が歌ふ事になる。こゝで、叙景詩の萌芽を発生する。
叙景詩は、そんなに早くは発達して居ない。うつかりすると、神武天皇の后いすけより[#「いすけより」に傍線]媛が、天皇の崩御の後作られた、と云ふ二首を叙景詩と思ふが、此は真の叙景詩ではない。――歌其もので研究するので、歌の序や、はしがきで、研究してはならぬ――だから叙景詩も、はつきりした意識から生れて来るものではない。新室ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の歌は、其建物の材料とか、建物の周囲の物などを歌ひ込めて行く。而も最初から此を歌はうとして居るのではない。即、茫莫たるものを、まとめるのである。昔の人は、大体の気分があるのみで、何を歌はうといふはつきりした予定が、初めからあるのではない。枕詞・序歌は大抵、目前の物を見つめて居る。
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みつ/\し 久米の子等が 垣下《カキモト》に、植ゑし薑《ハジカミ》。脣《クチ》ひゞく。
吾は忘れじ。撃ちてし止まむ(神武天皇――古事記)
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即、序歌によつて、自分の感情をまとめて来るのである。予定があつて、序歌が出来たと思ふのは誤りである。でたらめ[#「でたらめ」に傍線]の序歌によつて、自分の思想をまとめて行つた。即、神の告げと同様であつた。万葉集巻一の歌を見ると、叙景詩だか何だかはつきりわからないものが多い。うたげ[#「うたげ」に傍線]の歌が、旅行の時に行はれたのが叙景詩である。内部のものから、外部のものを歌ひ出さうとして来た。此を大成したと思はれるのは、山部[#(ノ)]赤人である。此が赤人の功績である。赤人の先輩に、高市連黒人がある。此らの天才詩人が出で、飛躍せしめ、早く叙景詩をもち来した。彼等の以前にも功績ある人がないでもないが、此二人が、最著れてゐる。だから日本の歌には、真の叙景詩はなかつた。抒情気分が、附加されて居る。平安朝以後、此叙景によつて思ひを述べようとする傾向が続いた。今言ふ叙景詩は、比較的早く出て、新抒情詩より、一歩先んじて居るものである
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