の神楽・催馬楽・風俗・東遊、或は、古今集の大歌所の歌、梁塵秘抄の一部、ずつと降つて、後奈良院御撰を伝へる山家鳥虫歌の類に到るまで、大なり小なり、此目的を含んで居ないものはない。此為に当時の人々にとりわけ異郷風な感じを持たれたあづまの国[#「あづまの国」に傍線]に絡んだ歌ばかりで、一巻を拵へることになつたのである。
処が、天平勝宝七年になつて、新しい東歌とも言ふべきものが蒐集せられた。此は恐らく当時兵部少輔であつた大伴家持の委託で、諸国の防人部領使が上申したと思はれる防人の歌である。此新東歌の如きは、万葉一部の年月順からすれば、極めて新しく出来たものである。巻十四の東歌でも出来た時代から言へば、他の大歌所の歌と比べて、古いものとは言はれまい。大歌の中に強ひて容れゝば人麻呂後期より遅れて居るものとせなければなるまい。然るに其思想・其形式を標準として見れば、年代順をふり替へて、大歌の第一期に据ゑねばならぬ程、古風のものである。
東歌には、語法・単語の上に、当時の都の言語の一時代前の俤を止めて居る。尠くとも真の万葉集らしく見えて来る藤原宮時代のものよりは、古い形である。のみならず、其語法・言語で表現せられた東人の生活意識は、此亦一時代前の文化・思想を示して居、他の十九巻の歌と比べると、確かに直情風で素朴な発想を、張りつめた情熱を以て謡うて居る。其故、芸術の順序からして、此に宮廷詩よりも前の位置を与へる事になる。
あづま[#「あづま」に傍線]なる地名の内容となつて居る地域は、時代々々で違うて居る。実際の境界は、日本武尊の伝説に拘泥する事なく、変遷を重ねて来た。本集には、西は、足柄山を越えて遠江までも延び、東北は、奥州の果迄を籠めて居る。蝦夷の勢力の消長につれて、あづま[#「あづま」に傍線]の内容が伸びも縮みもした事であらう。あづま[#「あづま」に傍線]とは、畢竟「熟蝦夷生蝦夷《ニギエゾアラエゾ》の国」を意味して居たのである。尤、彼等の外にも、都人・屯田の民・帰化外人などは住んで居たのである。官吏・旅行者などが、土地・人事に絡んだ珍しい話の種を都に持つて帰つては、都人をして、愈異郷風な想像を逞しうさせる。かうした見方の下に在つた国であつて見れば、採風の試みをすれば、第一にあづま[#「あづま」に傍線]が考へに浮んだ事であらう。古今集の大歌所の歌に、東歌が多く登録せられたのも、万葉
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