肯はぬ若干の人が居ることも事實である。西洋にだつて、それはない訣ではない。だからと謂つて、いまだに此國では、女性をそんな風に縛りつけてゐた過去を脱却して居ないのだ、ときめてしまふのは、どうかと思ふ。現實においては尚幾分未決算の部分を殘し乍ら、理論の上では、夙くに卒業してしまつたといふ状態に、あるのではないか。
さう言ふ風に、知識が單に知識として、早急に受けとられる。うはすべり[#「うはすべり」に傍点]した理會が、世間の文化を、滑らかに經過させるけれども、「實」のない人生ばかりが、社會に堆積せられて來る。さう言ふ日本の文化である。
我々は、こんなにわかり[#「わかり」に傍点]の早い人間であつてはならないのだ。もつと深い理會を――もつと根のある人生を――今はだが、國人にこれを望むだけで十分である。
        *
文學と、人生と、批評との關係が、さう言ふ風なのだから、我々の文學に、時としては文學を目的から逆行させよう、と言ふ――批評に行き逢ふことがある。さうして此が、とても/\強力に壓しかゝつて來る。
文學の愛好者としても、こんな批評を懷抱してゐる限りは、其文學を讀むことが徒らな享樂となつてしまふことが多いものである。
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日本の國で謂つても、さうだ。少くとも、源氏物語は、世界文學に伍しても、ひけ目[#「ひけ目」に傍点]を感じることがないと言つて來てゐる。私も、それはさうだと思ふ。だがも一つ、其然る所以を、説き明らめた人が居ない。それでは、却て源氏物語の價値を低くする樣なものである。もつと第一義的な批評が、出て來なければならぬ。
源氏を「誨淫の書」だの、「破倫の書」だのと言つて、まるで唾を吐きかけるやうな調子で、ものを言つた時代もあつた。而も、こゝ數年、そんな昔の考へ方が、くり返されて居た。如何に何でも、日本人が、日本の一流の文學を――出來れば、若い者に見せないですまさうとした態度は、よくないことである。精神力の衰へて居た證據である。そんな事でもしなければ、民族性格のだらけて來るのを、防ぐことが出來ない、と考へて居たのだと思ふと――さう言ふ世間の一員で、自分もあつたのだと思ふと、我ながら、可哀さうになつて來る。
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自分の犯した罪の爲に、何としても贖ひ了せることの出來ぬ犯しの爲に、世間第一の人間が、死ぬるまで苦しみ拔き、又、それだけの酬いを受けて行く宿命、――此が本格的な小説のてま[#「てま」に傍線]として用ゐられると言ふことは當然ではないか。之を咎めて、作品の價値までも沒却しようとした時代があつたのである。たとへば今一方、其境遇が、最貴い家庭に置かれてゐる點がわるいのだ、と言ふ説があるとする。それなら、愈、わるい考へ方である。さう言ふ貴い人々の間に處つて、苦惱の生涯を貫いた人を書いたればこそ、この書の特殊な價値は、益高く見える訣ではないか。
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いにしへの 生き苦しみし人びとの ひと代《ヨ》を見るも、虚しきごとし

くるしみて この世をはりしひと人の物語せむ。さびしと思ふな
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底本:「折口信夫全集 廿七卷」
   1968(昭和43)年1月25日発行
初出:「生活文化 第七巻第十號」
   1946年(昭和21年)11月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十一年十一月「生活文化」第七卷第十號」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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