して、特殊なもので、
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得田価異《ウタテケニ》心いぶせし。ことはかり よくせ。吾が兄子。逢へる時だに(万葉巻十二)
秋と言へば、心ぞいたき。宇多弖家爾《ウタテケニ》、花になぞへて見まく欲りかも(同巻二十)
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後のは、擬古作家なる家持の作だから、個々の語には信用は置けないが、此などは、当時まだ生きてゐた用語例らしく思はれるので、間違ひではなさゝうだ。
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わが宿の毛桃の下に月夜さし 下心吉《シタコヽロヨシ》(苦《(グシ)》)莵楯頃者《ウタテコノゴロ》(同巻十)
三日月のさやかに見えず雲隠り 見まくぞ欲しき。宇多手比日《ウタテコノゴロ》(同巻十一)
何時はなも、恋ひずありとはあらねども、得田直比来《ウタテコノゴロ》恋ひの繁しも(同巻十二)
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あげるもこと/″\しいが、此が今まで知れて居る、万葉集における用例の総計であらう。古今集には、あやまりかも知れないが、異例として、
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花と見て折らむとすれば、女郎花うたゝあるさまの名にこそありけれ(古今巻十九)
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が残つてゐる。此などは、うたて[#「うたて」に傍線]でもさし支へのない内容を持ち乍ら、真実ならば、形だけに、古風を存してゐると謂へる。
万葉のは、「うたてけに[#「けに」に白丸傍点]」又は「うたて此ころ[#「此ころ」に白丸傍点]」と言ふ風の形しかない。もつと外の表現もあつたのに違ひないが、此だけで見ると、他のものも、或はかう言ふ風に、一日々々とある状態に進むことを見せてゐる。「けに」は言ふまでもなく、「日にけに」の「けに」である。「このごろ」は「幾日以来」だから、日頃における進行を示すのだ。其から見ても、「うたて」にも、益・愈などの意味の含まれてゐることが、推定せられる。即、日本紀旧註其他、漢文訓読の上に残つてゐる「転《ウタヽ》」に、ぴつたり当るものである。
本来、「うたて」には、「憂し」の系統に属する内容はなかつたのである。処が、歌の上で、用語例が偏して来た為に、叙述語の方から影響を受ける様になつたのだ。
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花見れば花に慰まず転《ウタヽ》益、花になぞへて、人を思ふに、心痛むを覚えるのである。秋と言ふほど、愈[#「愈」に白丸傍点]心が痛いのである。
かうして逢ひ得た今
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