(とも) 常にもがもな。常処女にて
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と言ふ場合をも考へてよい。「むさず」は現状でなく、「むす」に対して言ふのである。「川上のゆつ磐群は苔むす」と言ふが、此場合は[#「此場合は」に傍線]苔むす如くにはあらずして、常若の……と言ふ事になるのである。
此方法で、同時に、「恋ひつゝあらずは」「恋ひせずは」「もの思はずは」などの「ず」も、解けてゆくのかも知れない。此には、又別の論文が用意せられる。
即、滋賀の大曲は、常によどむものなりとも、よどまずして、昔の人に復もあはめやも、と謂つた形を採るのが、第一義的であるが、其では、幾分、意義の通じる様に説明すると、「滋賀の大曲うちよどんで、人待つとも、待ちえずして……」と言ふ風になるものと見る事が出来る。さうした後、此「とも」の結着点は下に移つて、「またもあはめやも」で解決せられるのである。度々例示して置いた様に、「とも」の呼応点は、古くは「とも」の直後にあつたものだ。其が、「とも」を以て言ひ棄てる習慣の生じた為に、更に感動的に反語的に、違つた内容と、方向とを以て説明する方法が出来たものらしい。

     六
       ――なにせむに

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しろ金も、黄金も、珠も、奈爾世武爾《ナニセムニ》 優れる宝。子に次《シ》かめやも
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万葉巻五の近代的な作品中でも、殊にもてはやされてゐる歌である。が、此を果して文法的の論理を逐うて、説いてくれた人があるだらうか。山田博士などには、既にあるかも知らぬが聞かない。「なにせむに」は、「何をしように」と言ふ素朴な言語情調から、無益とまで説かなくても、放棄に値するものと謂つた解釈をしてゐるのだらう。だが、此用語例の場合は、「とも」とは正反対に、却て、形式上に、古い痕跡を止めてゐるのである。「なにせむに」は「何に」と同じである。「せむ」は「何すれぞ」「何すとか」「あどすとか」などゝ同じく、近代の「何しに」「どうして」などに通用する「す」で、不定詞の意義表現を助ける「あり」に代るものである。だから、「何の為に」位の語気の、聞える時もあるのだ。
同じ憶良の同じ理論の長歌では、「世の人の尊み慕ふ七|種《クサ》の宝も、我波《ワレハ》何為[#「何為」に白丸傍点]、わが中の産れ出でたる白珠のわが子|古日《フルヒ》は、……」「なにせむ」と訓めさう
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