元来して[#「して」に傍線]方の役目のやうに見えるが、実は脇方で始めたもので、脇役者がして[#「して」に傍線]をつけた、と見なければならぬ。翁に対する黒尉、即三番叟は、誰が見ても、白式の尉のもどき[#「もどき」に傍線]である事が理会出来る。翁が神歌を謡ひながら舞うた跡を、動作で示すのが三番叟である。三番叟を勤める役者が、狂言方から出るのには、深い意味があつて、動作が巧妙だからだなどゝ言ふ、単純な理由からではない。白式の尉の演ずるものは、歌も舞ひも、頗象徴的のもの――河口慧海氏は、とう/\たらりは西蔵語だと言うて、飜訳されたが、これは恐らく、笛の調子であらう――であつて、その神秘な言動を動作によつて、説明するのであるから、此はどうしてもわき[#「わき」に傍線]方の役者によつて、演じられなければならない。脇方としては、重要な役目である訣だ。

     八 翁の副演出

ところで、能楽では更に、此上にそれの説明がつく。能の本随である、神能の所演が其である。翁が入り、三番叟がすむと、殆ど、お茶を呑みに行く間《マ》もない程の間で、神能が始まる。養老・田村・高砂・嵐山など、神仏に関係したものが演じられる。前して[#「前して」に傍線]で田夫野人であつたものが、後じて[#「後じて」に傍線]で、実はかうしたものであると、神・仏或は聖なるものゝ姿となつて、現れるのである。
翁に対する神能の関係は、副演出と見なければらない。翁の芸を三番叟が飜訳し、更に神能が説明することになるのであるが、尚此上に、次の番組で神能の説明が試みられる。能の番組は、さうして作られたのだと思ふが、いつか其意味が忘れられ、たゞ神の意志を伝へればいゝと言ふやうになつたのである。
翁が毎日繰り返された意味は、これで訣る。どの能もが、翁の説明であり、副演出であるからである。猿楽の基礎は、翁であるが、此「翁」は、もとは田楽附属の芸であつた。それが幾つもの副演出を重ねて行くことによつて、遂に猿楽を分離せねばならぬほどにまで、発達したのである。猿楽は其最著しい例であるが、かうして副演出を重ねて行つたのは、単に猿楽ばかりではない。日本の芸術はかくして、豊かに発達して行つた。かくて、能の源流は脇能にあると言ふことは、日本の演劇史を研究する上に、極めて大切な問題となるのである。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店
   1930(昭和5)年6月20日
初出:「民俗芸術 第二巻第三号」
   1929(昭和4)年3月
※底本の題名の下に書かれている「国学院大学講義の一節。昭和四年三月「民俗芸術」第二巻第三号」はファイル末の「初出」「注記」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年5月2日作成
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