第一部 日本語の語序
一 下何
後代の語序からすれば、「簾下」「沓下」と言ふ所を、古くは、下簾「シタスダレ」、韈「シタウヅ」と、全く逆装法を以つて言つてゐる。かう言ふ考へから出発して行かう。
簾或は他の器用の下に、更にかけられてゐる簾を言ふからの名の下簾ならば、問題はない。又、靴《クワ》の沓《クツ》の下に今一重別にはいてゐるので、下沓《シタグツ》と言ふのだとすれば、此も亦あたりまへである。ところが、下簾・韈は、さう言ふものではなかつた。
車の正面にかけた簾の下に垂れる布類の名が下簾であり、沓の下にはく足袋のやうな類をしたうづ[#「したうづ」は太字](したぐつ)と言つたのである。この二例とも、平安時代の言語の気分の多い語なのだが、其前にも既に言つてゐたのではないか。したぐつ[#「したぐつ」に傍線]の方は、万葉巻十六にも、「二綾《フタアヤ》下沓」と言ふ語が出てゐる。沓下として穿ちはいた二重紋綾の足袋《アシブクロ》なのである。
「……をちかたのふた綾下沓、とぶとりの飛鳥壮夫《アスカヲトコ》が霖禁《アマツヽミ》(普通ながめいみ[#「ながめいみ」は太字]と訓む)縫ひし黒沓」と言ふ続き合ひを見ると、右の沓下と、それからその上に、飛鳥郷人の霖雨期間に謹慎をして縫ひあげた黒沓をはいてゐると言つた姿で、沓と韈の著用次第もよくわかるし、語の時代は又溯つて藤原奈良時代或は其より古いものと言ふことは出来るらしい。勿論、語の意義も、そのまゝ持続してゐた様子が見える。さうすると、万葉集における語の位置排列が、二通りあつたといふことになる。
通常の語序をとつた文章では、先行する筈の語の、反対に後置せられてゐると言つてよい形の熟語が、飛鳥時代にあつたことの想像せられる程、其に続く長い時代に渉つて生きて居り、或はもつと後世までも、固定して熟語として残つたことも考へられるのである。而も其事実は、当然かういふ事情の内に行はれてゐたのである。日本語の普通語序にあるものとして用ゐられた極めて多くの熟語に介在して、すつかり語序の違つた、謂はゞ逆になつた語のあることである。さうして、今日残つた古い文献の綜合せられ考へられて来た我々の知識では、どちらか一方の語序を以てする表現ばかりの行はれてゐた時代が空想せられ易い。勿論文献の上では出来るだけ古代に溯つて見ても、普通語序の熟語が極めて多く、
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