つ」に傍点]こと――せられる詞章が、のりと[#「のりと」に傍線]であつた。宮廷の式日の恒例として、宣下があると折り返し、臣下から、精霊が主神に対する立ち場に倣うて、奏上誓約したものが、よごと[#「よごと」に傍線]なのである。だから、自ら内容に制限のあつた訣である。第一条件として、服従を誓ふ儀礼の精神は、其族の威力の源たる国々――種族的――の守護霊を、聖躬に移し献じ奉ることによつて、成り立つものと考へて居た。その呪術によつて、宮廷の主上の御為に生ずる効果は、其国々を知る威力を得させ奉ると共に、其守護によつて、健康と富みを併有させ申すことになるのだ。其で、文献には、寿詞《ヨゴト》――奏寿詞の義――を以て、宛て字としたのだ。
宮廷の正儀として、正月朝賀の時に、宣詞宣下があるのに、和し奉ることに定つて居た為、「賀詞」或は「賀正事」なる字を作り、又漠然と「吉事」など書いて、「よごと」と訓じる様になつたのである。
古い形で言へば、神から精霊に与へ、精霊をして服従を誓はしめた唱和の辞が、宮廷と臣下――豪族――との間に、後代までも、儀礼の姿として続くに到つたのである。此二つの関係が、次第に忘れられ、祝詞《ノリト》が全体を掩ふ用語となり、よごと[#「よごと」に傍線]は、其一部分のものとなつて了つたのだ。此も、対照的に見ると訣る。のりと[#「のりと」に傍線]であるべき宣命が、人間――又は人間であつたもので、尚生きて居ると信ぜられるもの――に対して宣せられる、宮廷の臨時詞章に限られたのと同じ筋道にある。宮廷に対して、人間としての立ち場から奏上するもので、それ/″\の家の、宮廷に対する歴史的関係を説く、家伝の詞章であつた。
寿詞が、国々・家々・氏々によつて、複雑に分化して行つたと同時に、宣詞は、次第に単純化して行つた。数においては、寿詞的なものをもこめて、次第に増加して行つたにしても、形式も短くなつて行つた。だから一方、祝詞は、名はのりと[#「のりと」に傍線]でも、実は形式内容共に、寿詞的になつた訣だ。
叙事詩は、さうした意味ののりと[#「のりと」に傍線]正しくは、よごと[#「よごと」に傍線]から、次第に目的を開いて行つたものである。だから、叙事詩自身も、後々までも、呪詞的の効果を失はずに居た。言ひ換へれば、叙事詩でありながら、呪詞として用ゐられてゐた理由も訣るのだ。

      語部

古く見れば、宣詞その物が、主神自身の「出自|明《アカ》し」であり、対象たる精霊の種姓を暴露すると謂つた、内容を持つてゐたものなのだ。其形が、次第に寿詞の方へ移つて、宮廷に奉仕する家職の歴史的関係を、奏寿者から説くこと、益《ますます》明細なるに到つたのだ。此が、伝承詞章における、歴史的内容の出発点である。この寿詞の集注せられる所は宮廷だから、宮廷の歴史は、実は、氏々・国々の寿詞の綜合であつた、と言ふことが出来る。或は、国の古代史に、政治的変形の存在を、主張する人がある。古代史が多く、為政者の作為枉曲を含んでゐるとするのである。其を認める人々も尠くはない。けれども事実は、あまり考へな過ぎたもの、と言はねばならない。宮廷自体の歴史的伝承の固有せられたことは、勿論信じられるが、多く常に、旧来附属した他国・他氏の伝承自身に述べる所を纏めて、形づくられて来たものと見るのが、本道なのだ。さすれば、諸国・諸氏に関する宮廷の歴史は、諸国・諸氏自身の、曾ては自ら信じ、自ら伝へて居たものだといふことになる。疑ふべきものがあれば、其出た本国・本氏の伝承の上にあるとせねばならぬ筈である。
さて、のりと[#「のりと」に傍線]――宣詞――は、後によごと[#「よごと」に傍線]要素をもこめて、祝詞《ノリト》と称し、又分れて宣命となつた。其如く、よごと[#「よごと」に傍線]は、物語《モノガタリ》――口立ての歴史――となり、又抒情詩を分出せしめる様になつて行く。寿詞《ヨゴト》を伝承したものは、国々家々を治《シ》つた者の後なる氏々の族長であつた。其由は、日本紀の飛鳥朝になると、明らかになつて来る。寿詞は、宮廷に奏する事を目的としたのだから、低い者の任ぜられぬ理由があつた訣である。処が、其歴史化した方面は、其目的が、国或は氏の神の祭儀に用ゐ、族人に周知せしめる事を目的としたところから、此を伝奏・代唱する、神聖なる職業を、生じることになつた。即、語部《カタリベ》の発生した所以である。
宮廷で言へば、「のりと」を代唱する神人――其資格の上から、神主といふ――を生じて、中臣・斎部の氏人の位置の定まつた様に、家々の歴史的生活の中に、語部職が分化して、国々の歴史詞章の伝承を掌り、氏神の自覚を促し、氏神の教養を高めようとしたものであつた。其が、更に分出した目的がある。其は、自国・自家に残つた、神秘な短章の威力を説く事
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