其に不安を感じる場合には、其歌の属してゐた叙事詩を口誦すれば、的確に効果の挙るものと思うたこと、早く説いたとほりである。かうしたかけ合ひを以て出発した歌が、かけ合ひに進むと同時に、一人の層畳的発想、即、組歌形式をも採つて行く様になる。併し、歌の独立する径路に就いて、一面の原因ではあるが、最適切なものを挙げる事が出来る。巫覡の神懸りによつてする舞踊は、呪詞或は叙事詩を唱へてゐる間に、舞人自ら其主たる神或は人となつて歌ひ出す。即、一種の詠《エイ》の形をとる事によつて、発達して来る。此は、歌の発生の一部の原因であるが、主としては、歌が出来て後、独立した歌の製作に向ふ動機を、促す理由になつてゐる様である。

         ◇

日本文学は、少なくとも私の申してゐる時代には、文学ではなかつた。例外なく宗教上の儀礼であつた。異人の詞を伝承すると云ふ意義に於いて、或期間持続せられ、其間に固定し脱落し、変化改造が加つて来た。其上に、歴史意識が加つて、叙事詩が出来、其断片化したものが諺及び歌になり、更に歌の方面に、非常な発達を遂げることになつた。結局最初の文学は、律文であつた。けれども今日の感覚を通して感じる時は、最初は、寧、散文に近いと思はれる呪詞があつた。其が、叙事詩になつて、純粋な律文と称すべきものになつた。呪詞の中に祝詞・寿詞・鎮護詞の区別があり、更に祝詞に対しては、原形に近い宣命が、対立する様になつた。今謂ふ所の祝詞よりは、寧、祝詞らしい要素は、宣命に多く含まれてゐる。
歌に於いては、掛け合ひの形から出発して小長歌になり、其は二部に岐れるところの小長歌の形から、全然変化を重ねて行く。我々が、最初の観察の対象に置くのに便宜な形は、片哥及び旋頭歌であるが、此が直《ただち》に日本の歌の原形だ、と云ふ事は出来ない。
われ/\の文学は、此国土以前からあつたのだから、原始と云ふ語を用ゐるのは、絶対に避けなければならない。長歌が次第に長くなり、これに創作意識が加つて来ると共に、一方声楽上の欲求から、長歌の中に短歌が胚胎せられて来る。其短歌成立の動機は、同時に片哥の中にも、催されてゐた事だ。此最新しく、而も近代に至るまで、わが民族の生活に最叶つてゐる様に見えた短歌が、明らかに形式を意識せられて来たのは、飛鳥末から、藤原へかけてのことらしい。
私の論文に於いて、いま少し力を入れたかつた部
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