て、此|土《くに》の事情と正反対の形なるものと考へてゐた。其|最《もつとも》著しいのは、我々の祖先が、起原をつくつたと考へてゐる文学そのものが、その祖先自身の時代には、それが悉く空想の彼岸の所産であると、考へられてゐたことであつた。この彼此両岸国土の消息を通じることを役とする者が考へられ、其|齎《もたら》す詞章が、後々、文学となるべき初めのことばなのであつた。週期的に、この国を訪づれることによつて、この世の春を廻らし、更に天地の元《ハジメ》に還す異人、又は其来ること珍《マレ》なるが故に、まれびと[#「まれびと」に傍線]と言はれたものである。異人の齎す詞章が宣せられると共に、その詞章の威力――それに含まれてゐる発言者の霊力の信仰が変形したところの――に依つて、かうした威力を持つものと信じられた為に、長く保持せられ、次第に分化して、結局文学意識を生じるに至つたのだ。
扨《さて》、その異人の住むとせられた彼岸の国は、我々の民族の古語では、すべてとこよ[#「とこよ」に傍線]――常世又は常夜――と称せられてゐた。その常世なる他界は、完全に此土の生活を了へた人々の魂が集中――所謂つまる[#「つまる」に傍点]――して生きてゐる、と信じられてゐた。さうして、此常世と幾分違つた方向に岐れて行つたと思はれる夜見の国に、黄泉大神《ヨモツオホカミ》を考へた如く、さうした魂のうちに、最威力あるものをも考へてゐた様である。而も、対照的に思惟し、発想する癖からして、二つの対立したものと考へ、それが祖先である為に、考妣一対の霊と思はれる様にもなつた。更に、彼土にある幾多の魂が、その威霊の指導に従つて、此国へ群行し来たるものとも考へてゐた。だから、異人は他界の威霊であると考へたものが、唯《ただ》生活方法が違ふ外に、我々と共通の精神を持つた神聖な生き物としての、ひと[#「ひと」に傍点]とも考へられた。又ある地方、或は或時代には、多く神と信じられ、常世神とも称せられる様になつた。この様に、異人に対する考へは、極めて自由で、邑落に依つて一致しない部分の多かつたことが思はれる。だが、さうした整頓せられない種々な形を恣《ほしいまま》に考へることは、却《かへ》つて正確な知識を捉へることの出来ないことだから、姑《しばら》く、記・紀・風土記の援用文に見えた代表的な姿に括《くる》めて説かねばならぬ。
この三種の様式の
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