は、語部が叙事詩を語り、其一部分として歌が生じたものと思ふ方が順道らしい。
高級巫女であると同時に、姫神となる資格を齎《もたら》しめる様な教育の役をするのが、後代の女房となつたのだ。だから、語部には、男と女と両方あつたらしい。先輩も、亦私も、語部は女ばかりだと考へてゐたのは、多少の訂正を要する。古代の邑落生活様式の、宮廷に帰一せられて来るのは、普通だが、必しもすべてが同じだとは言へない。やはり、別々の姿を保存してゐた。だが、大体に於いて、さうした為事が、女のものであつたことは争へない。
語部の語原に関聯して、かたる[#「かたる」に傍線]とうたふ[#「うたふ」に傍線]との区別を唯一口申したい。うたふ[#「うたふ」に傍線]は抒情詩、かたる[#「かたる」に傍線]は叙事詩を諷誦することであつた。かたる[#「かたる」に傍線]の再活用かたらふ[#「かたらふ」に傍線]の用語例が、その暗示を与へて居ると思ふ。かたらふ[#「かたらふ」に傍線]は言語によつて、感染させて、同一の感情を抱かせると云ふことである。で、私はかたる[#「かたる」に傍線]・かたり[#「かたり」に傍線]が、古代人の信仰に於いて、魂の風化を意味してゐるのだと思ふ。
簡単にまう一度、前に述べた事をくり返すが、言霊は、一語々々に精霊が潜んでゐることだとする人が多い。だが、此は誤解だ。ことば[#「ことば」に傍線]とことのは[#「ことのは」に傍線]とが対立してゐる如く、やはり、こと[#「こと」に傍線]とことば[#「ことば」に傍線]とでは違ふ。こと[#「こと」に傍線]と云ふことは、一つのある連続した唱へ言・呪詞並びに呪詞系統の叙事詩と云ふことだ。かたる[#「かたる」に傍線]と対照的になつてゐる方面のあるとなふ[#「となふ」に傍線]といふ呪詞に関した用語も、実は徇《シタガ》へる義だ。言霊は呪詞の中に潜んでゐる精霊の、呪詞の唱へられる事によつて、目を覚まして活動するものである。呪詞が断片化した諺にも、又叙事詩の一部分なる「歌」にも、言霊がは入つてゐると信じたのである。つまり、完結した意味をもつた文章でなければ、言霊はないことになる。
尠くとも日本人と一つ系統から分岐した沖縄人は、国王に物を教へなかつた。此が、日本と沖縄と運命の岐れて来た理由だ。従つて、沖縄には、優れて立派な国王も居り、また暗愚な国王も出た訣だ。此は、日本紀の記述な
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